もと わが索むるは まことのことば
賢治が語る 宇宙が語る
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
(童話集「注文の多い料理店」序)
宮沢賢治―心の宇宙の旅人
どこまでも僕たち 一緒に進んで行こう
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(春と修羅)
ひかりと闇
宮沢賢治は法華経 (まことのことば)の詩人です。 そらや愛やりんごや風、すべてのちからの根源——宇宙のいのちーと交信した稀有なたましいです。 ナモサダルマプフンダリカサスートラ (南無妙法蓮華経) とはその共鳴のさけびにほかなりません。
ひかりかがやく空の下いかりをひめて生きる阿修羅、ここで賢治は自分のことをそう考えています。 賢治は「政治家」と題した詩で「あっちもこっちも/ひとさわぎおこして/いっぱい呑みたいやつらばかりだ/羊歯の葉と雲/世界はそんなにつめたく暗く音い」とうたっています。 大正から昭和にかけての社会の現実は、ときに賢治の眼から「世界を包む大きな徳の力」を覆い隠すこともあったと思われます。
シュラからデクノボーへ、激しく燃え行き来した三十七年の人生。 今、賢治のことばを口ずさむとき、ふしぎなことに、ちぎれた雲や四月の風が私たちのこころをふきぬけ、暗い森や透明な山からはおどけた賢治の声が聞こえてくるようです。
どんぐりと山猫
「あのぶんしやうは、ずゐぶん下手だべ。」と男は下をむいてかなしさうに言ひました。“一郎はきのどくになつて、「さあ、なかなか、ぶんしやうがうまいやうでしたよ。」と言ひますと、男はよろこんで、息をはあはあして、耳のあたりまでまつ赤になり、きもの、えりをひろげて、恥をからだに入れながら、じ「あの字もなかなかうまいか。」とき、ました。
やさしさとおもいやり
一郎のもとに届いた、山猫からのおかしな葉書。 それはどんぐりたちの間で誰が一番偉いかを決めるという、裁判への招待状でした。 この葉書を書いた山猫の馬車別当は、一郎に向かって自信なげに文章や字のまずさについて尋ねるのです。 一郎は気の毒に思ってそれをほめてあげると、男はたいそう喜んだのでした。
子育ては、しかるよりもほめて育てろと言いますが、それはほめることによって相手を喜ばせ、自信ややる気を持たせるものだからでしょう。 一郎も今、同じように男をほめ、励ましてやったのです。
賢治は一郎の口を通して、そのようなやさしさと相手をおもいやる心の大切さを私たちに語りかけているのです。
ひとはみな、それぞれに尊い
「よろしい。しづかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ。」
偉さを比べ合うどんぐり達を相手に、一郎は一番偉いのはばかでまるでなっていないもの、という意外な判決を下しました。 それは誰かれが偉いなどと比べても、所詮外見で本当の偉さを決めることはできないからです。 いや、実は比較すること自体が愚かなことであり、そうした常識的なものの見方をこの判決は打ち消したのです。
一郎はそれを、「お説教で聞いた」と語っています。 仏さまの教えには、ひとは誰もみな仏になりうる尊い存在であると説かれていますから、決してひとに優劣を付けることなどはできないのです。
とかく競争の激しいこの社会で、いつも比較されねばならない子供たち。 賢治は、誰もがみな個性を伸ばし、尊い存在であることに気づいて自信を持とう、と子供たちを励ましています。 もしもみんなと違うという理由でいじめがあったら、もっとお互いを大切にし、個性を尊重しなさい、とどんぐり達からもしかられそうですね。
青森挽歌
あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
たましいの行方
賢治の最愛の妹トシが肺結核に侵され大正十一年十一月二十七日に、二十四歳の若さで生涯を閉じてしまいます。
父が浄土真宗の篤信家であった宮沢家にあって、賢治の法華経信仰を理解し同調してくれたのはこの妹トシだけだったのです。 臨終の枕元で賢治は冥福を祈ってお題目を唱えていましたが、悲しみをこらえきれず慟哭したと伝えられています。
妹の死後賢治の詩作活動はショックのためか・・・・・…虚脱感のためか・・・・・・・ 中断してしまいます。 教職にあった賢治は突如夏休みを利用し、夜行列車に乗って北へと向かう旅に出発します。 青森に向かって走る夜汽車の中で賢治は幻想的な気分におそわれます。 亡妹を思う情念から、書き綴られたのがこの「青森挽歌」です。
「あいつはこんなさびしい停車場をたったひとりで通っていったろうか・・・・・・」と妹の魂の行方を思い、考えずにはいられなかったのでしょう。
ひかりの素足
「檜夫は許して下さい、檜夫は許して下さい。」一郎は泣いて叫びました。
「歩け。」鞭が又鳴りましたので一郎は両腕であらん限り檜夫をかばひました。
かばひながら一郎はどこからか「にょらいじゅりゃうぼん第十六。」といふやうな語がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。
ほんとうの救い
猛吹雪の中、一郎は檜夫をしっかり抱いたまましだいに雪に埋もれ不思議な臨死の体験をします。―一郎がそこで体験したものは・・・・・・・
こわい顔をした鬼たちが、鞭で檜夫を打ちすえるそれは恐ろしい地獄の世界そのものでした。 一郎は泣きながら必死に鬼にすがりつき「檜夫は許して下さい」と弟をかばいます。 しかし鬼は「罪はこんどばかりではないぞ」と叫んで檜夫を打ちつづけます。 その時かすかに聞こえてきたのが、「如来寿量品第十六」という語でした。 一郎が訳も分からずその語をつぶやくと、地獄のような世界が一瞬にして光り輝く仏の世界へと一変し、檜夫は仏の世界へ、一郎は現世に戻されます。
日蓮聖人は、仏さまのご本心はこの法華経に説き示され、法華経以外に全ての者の救済はないとご教示されています。 法華経に出合うならば、必ず救済されるんだ・・・・・・と、賢治はこの作品を通して語っているのでしょう。
銀河鉄道の夜
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて小さな虫やなんか殺してたべて生きてゐたんですって。 するとある日いたちに見附かって食べられさうになったんですって。 さそりは一生けん命遁げて遁げたけどたうたういたちに押へられさうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。 そのときさそりは斯う云ってお祈りしたといふの、
あ、、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられやうとしたときはあんなに一生けん命にげた。 それでもたうたうこんなになってしまった。 あ、なんにもあてにならない。 どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。 そしたらいたちも一日生きのびたらうに。 どうか神さま。私の心をごらん下さい。 こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。って云ったといふの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしてゐるのを見たって。
まことのみんなの幸のために
カムパネルラが川でおぼれたのは、級友のザネリを助けるためでした。 家庭教師の青年と教え子は、まわりの人たちを押しのけてまでボートに乗り移るよりは、沈む船に身をゆだねることを選びました。 銀河鉄道に乗り合わせたこの人たちは、いずれも他の人の幸のために自分の命をささげた人たちでした。
蝎は、「まことのみんなの幸のため」に身をささげたいと願うことによって、闇を照らすまっ赤な美しい火になって永遠に燃えつづけることになりました。 この物語は、自らの命をささげたカムパネルラたちの尊い行いを浄化し、救い照らしています。
けれどもここで忘れてならないのは、蝎の祈りが「まことのみんなの幸のため」の祈りであったことです。 それでは、「まことの幸」とは何なのでしょうか。 しかも、私やあなただけのものではなく、すべてのいきもののほんとうの幸福とは・・・・・・。
どこへでも行ける切符
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。」
「切符を拝見いたします」と車掌に言われて、ジョバンニはあわててポケットをさがしました。 すると、「四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙」がはいっていて、「十ばかりの文字」が印刷されていました。 それは、どこへでも、本当の天上へさえも自由に行き来できる切符だったのです。
地球上はおろか宇宙の三次元空間だけでなく、過去や未来の四次元の世界、さらには次元をこえた銀河鉄道の世界へまでも自由に行き来できるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。
ところで、切符に印刷されていた「十ばかりの文字」って何のことでしょう。 賢治は妙法蓮華経のことを「サダルマプフンダリカサスートラ」と表記しています。 漢字にすると「薩達摩芬陀梨伽素多覧」と、ちょうど十文字になります。 ジョバンニの切符の「十ばかりの文字」というのは「妙法蓮華経」のことだったのです。 とすれば、南無妙法蓮華経こそがどこへでも自由に行き来できる切符ということになります。
ジョバンニは、どんなに楽しいところへでも自由に行ける切符を持ちながら、結局病気のお母さんが待っている自分の家に帰りました。 そこにこそ「ほんとうのさいわい」を築いていかなければならないことに気づいたからでしょう。
しあわせへの道
「なにがしあはせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがたぃしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
幸せを求めない人なんて誰ひとりいないでしょう。 でも、本当の幸せって、なになのか? 歩んでみないと分からないのが人生です。
銀河鉄道の中で、燈台守が乗客たちに語りかけたこの言葉は、賢治が私たちに残したかった人生の道標にほかなりません。 賢治の歩もうとした道は、かつて日蓮聖人が歩まれた道でした。 だから、どんな辛い事にも耐えられたのです。
おそらくは、賢治にとって、日蓮聖人が燈台守だったのでしょう。 そして、その燈台から放たれるのは、お題目の光。 口に心に身に法華経を読む生き方こそ、幸せへの最善の道だと賢治は信じたのです。 たとえ、それがどんなに遠い道だとしても。
「ここ」こそ浄土
「だけどあたしたちもうこ、で降りなけぁいけないのよ。こ、天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしさうに云ひました。
「天上へなんか行かなくたってい、ぢゃないか。ぼくたちこ、で天上よりももっとい、とこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」
「ここ」、それは私たちが生きている世界です。 「ここ」は決して楽な世界ではありません。 お経の中に、「娑婆」と記されている世界です。 「娑婆」とは、耐え忍ばなければならない世界という意味。
「僕の先生」とは日蓮聖人。 日蓮聖人は、この娑婆世界こそ、浄土だとお説きになっているのです。 それは、ご本仏お釈迦さまが見守って下さっている世界だからです。 見守るだけではありません。 私たちみんなが仏になるようにと願い、導いて下さっています。
だからこそ銀河鉄道のジョバンニは、私たちに訴えます。「この世界を、どこよりも素晴らしい所にしようよ」と。 それは、立正安国という日蓮聖人の永遠の願いでもあるのです。
命という現象
よだかの星
雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいやうです。 よだかはむねがつかえたやうに思ひながら、又そらへのぼりました。 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。 そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。 よだかはそれを無理にのみこんでしまひましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。 泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
私が生きているということで、どれほどの犠牲が必要とされるのでしょう。
よだかは、みんなからばかにされ、相手にしてもらえませんでした。 そのよだかが、死を覚悟して空を飛び回っている時にも、口の中にはいくつもの虫が、命が飲み込まれてゆくのです。 ばたばたもがく命を無理に飲み込む・・・・・・、これほど悲しいことはありません。 よだかは泣きながら空をかけ昇るだけでした。
賢治は殺生を否定出来ない現実を悲しんでいます。 そして、これ程までの多くの犠牲を得ての、命という現象の真の意味を問題にしています。
法華経ではすべてのものが仏になれると説かれています。 すべての命は、み仏の命のはたらきとして位置づけされるのです。 それを知らない愚かな私たちは、ただただ醜く見えるものを嫌い、愚かに思えることを軽蔑します。 東の方の山やけの火とは、そうしたことに気づかず悩み苦しむ、恐ろしい世界のことです。 よだかは、その世界をはるかに見通せるみ仏の世界に到達し、真実の命の輝きをさとり、やがてみずからもその輝きとなって、仏になるのです。
土神と狐
「ほんたうにさうだと思ひますわ。」樺の木のやさしい声が又しました。 土神は今度はまるでべらべらした桃いろの火でからだ中燃されてゐるやうにおもひました。 息がせかせかしてほんたうにたまらなくなりました。
べらべら桃いろ嫉妬の火
土神は樺の木が好きです。 でも、醜い風貌と、恐ろしい力で、ちょっといたずらしても、相手は死にそうな目にあうので、森にすむみんなから怖れられていました。 それに自分は神だという自負があるので、威厳をたもとうと、みんなにやさしく接する事もしませんでした。 そんな土神が、意を決して樺の木にやさしく語りかけようと、そっと近づいたときに、先客のキツネが樺の木と親しく話しているのを目撃してしまいます。 土神はキツネが樺の木のことが好きで、以前からなにかと言い寄っていたのをこころよく思っていませんでした。 せっかくやさしい想いになっていたのもつかの間で、たちまち嫉妬に身を焦がされることになってしまいました。
私たちはよく「こんなに好きなのだから、相手も自分のことを好きでいてほしい。」と思うことがあります。 それは他の人の心を支配できるという、幻想に惑わされ、ふりまわされ、やがては嫉妬となって、まわりの人々まで傷つけてしまいます。 好きな人を本当に大切に想い続けることの難しさであり、素晴らしさです。
最愛のみんなを祈る
青森挽歌
(みんなむかしからのきやうだいなのだがら
けつしてひとりをいのつてはいけない)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます
人は最愛の人を亡くした時、何を思い、何を考えるのでしょうか? 二十六歳の時、最愛の妹トシを失った賢治は、北海道から樺太を目指す北の旅に出て、いくつかの素晴らしい挽歌を創りました。 本編もその中の一編なのですが、トシの赴いた死後の世界について思いを巡らす賢治の文章の行間からは、真っ赤な血が噴き出してきそうな気がします。
賢治の心象(イメージ)の中で、地獄で苦しむトシ、小鳥になったトシ、天上界に至るトシなど、数え切れないほどのトシの姿が去来する中、思いは最後に、ここに掲げました詩の本文、法華経の祈りの世界へと昇華されていったのです。
《みんなむかしからのきょうだいなのだからけっしてひとりをいのってはいけない》という言葉に触れる時、わが身を振り返れば、法華経の「願わくば此の功徳を以て普ぐ一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と云う一節が、心の真ん中に迫って来るような気がします。
デクノボーの安らぎ
雨ニモマケズ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
「毀誉褒貶」「そしられる・ほまれをうける・ほめられる・けなされる」という四つの文字がセットになって出来ています。 この四つの文字の呪縛から自分を解放することがすなわち安らぎの中に生きるということです。 賢治は解放されて安らぎの中に生きて行く姿のことをデクノボーと表現していますが、そのデクノボーにとって必要なのは、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダなどであるとしています。
では、どうすればデクノボーになることが出来るのでしょうか? 宇宙を統一する大いなる真理(実体)、私達はそのことを大曼荼羅御本尊と呼んでいますが、この御本尊と私達一人ひとりとの一体化こそが私達におけるデクノボー精神の実現ということになります。 そして賢治もまた自らのデクノボー精神を一編の詩に表した時、その結びとしてこの御本尊を書き写しているのです。
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
宮沢賢治略年譜
| Year / Age | Key Life Events |
|---|---|
| 明治二十九年(一八九六) | 八月二十七日、岩手県花巻市に生まれる。 |
| 大正三年(一九一四) ——十八歲 | 法華経を読んで感動する。 |
| 大正九年(一九二〇) ——二十四歲 | 盛岡高等農林学校研究生を修了。 |
| 大正十年(一九二二) ——二十五歲 | 一月、父親に無断で上京。 この頃から猛然と童話を執筆する。 十二月、稗貫(後に花巻) 農学校教諭に就任。 |
| 大正十一年(一九二二) ——二十六歲 | 十一月、最愛の妹トシと死別。 |
| 大正十三年(一九二四) ——二十八歲 | 四月、詩集『春と修羅』自費出版。 十二月、童話集『注文の多い料理店』刊行。 |
| 大正十五年・昭和元年(一九二六) ——三十歲 | 三月、花巻農学校を退職。 羅須地人協会を設立、農村活動に入る。 |
| 昭和六年(一九三二) ——三十五歲 | 十一月、手帳に「雨ニモマケズ」を記す。 |
| 昭和八年(一九三三) ——三十七歲 | 九月二十一日、国訳法華経一千部を印刷配布するよう遺言して亡くなる。 現在、賢治の墓は花巻市日蓮宗身照寺にある。 |
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある(農民芸術概論綱要)
製作・日蓮宗宗務院/編集・日蓮宗新聞社/デザイン・スタジオヒロ
原文は『校本 宮澤賢治全集」に基づぎました。
このからだそらのみぢんにちらばれ(春と修羅)