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Sacramento Nichiren Buddhist Church

Study Center

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お題目の功徳と意義

I

七字のお題目

七字のお題目

「南無妙法蓮華経」。これはお題目です。このお題目には お釈迦様の魂が込められています。日蓮聖人はこのお題目 を弘めるためにその生涯を捧げられました。

お題目を唱えるとき、私たちははかり知れない功徳を得 ることが出来ます。お題目は唱えなければ役に立ちません。他人の莫大な財産の様なものです。自分が所有してなけれ ば、何の役にも立ちません。

宇宙の真理

私たちがお題目を唱えるとき、私たちは宇宙の真理の中 に生き、また、生かされています。

「南無」とは「帰命する」ということです。「南無」とい うことばを唱えるとき、私たちはお題目に命がけでおすが りすると誓っているのです。

「妙法」とは「妙なる法」ということで、私たちが住んで いる大宇宙の尊い真理ということです。地球は太陽の周り を回ります。私たちの寿命は永遠ではありません。これら は厳粛なる宇宙の真理です。

「蓮華」とは、泥池の中にありながらも清らかな花を咲か せる蓮の花です。ですから、「妙法蓮華経」は泥水の中に咲 く蓮の花に喩えられるのです。

貴いお題目

「お題目」とはお経の「貴い表題」を意味します。ですか ら、たとえ私たちがそのことに気付かずとも「南無妙法蓮 華経」と唱えると、法華経すべてを唱えていることになり ます。

「南無妙法蓮華経」は7つの漢字から成ります。中国語訳 の法華経は約7万字で構成されています。この7字のお題 目を1万遍唱えることは、7万字から成る法華経の全編を いちど読み通した勘定になります。

100万遍のお題目

1980年、私のお寺(大分県 法華寺)では100万遍唱題修 行を始めました。はじめは8人が参加しました。

私たちの目標は、8人で合計100万遍のお題目(法華経を 100回完読したことに匹敵する)を唱えることでしたが、こ の目標を達成するにはずいぶん時間がかかると思いました。ところが、なんと1人で100万遍を達成した人が出ました。

8年後には、148人もの人が修行に参加し、皆が唱えたお 題目は1億遍にもなりました。現在唱題の合計は1億8千 万遍を越え、プロジェクトの名前を変える必要に迫られ、 「無量唱題行」としました。このようにして私たちは唱題行 を続けています。

支えられてある存在

私たち唱題修行に参加している者は自分の力だけで生き ているのではなく、常に生かされて生きていると考えてい ます。私たちが、お題目を唱えることができるのはまさに 生かされているからです。そして、お題目を唱えることこ そ法華経の実践であります。

諸外国同様、日本各地のお寺では月例の唱題修行の会が 開かれています。(唱題)修行に参加することで、私たちは 生かされているからこそ、この大宇宙の中に存在している のだということを理解するのです。お題目を唱えすること から始めましょう。

II

生まれ変わる

生まれ変わる

お題目を唱えることで、私たちは新しい生命を得ます。 そして新たな人生を始めるのです。「妙」とは蘇生を意味す ると言われます。蘇生とは生き返ることであり、生まれ変 わることです。

九州の田舎に78歳のお爺さんが住んでいました。彼の年 老いた妻はお題目への信仰が深く、お題目を唱えることが 毎日の習慣となっていました。

「必要ない!」

しかし、お爺さんは、「私は生まれて以来悪いことなどし ていないのだから、お題目を唱える必要はない」と、日頃か ら言っておりました。それでも年老いてくるとお寺に参る ようになりました。

3月のある日のことです。その日は彼岸過ぎだというの に雪が降っていました(日本では、暑さ、寒さも彼岸まで と言います)。お爺さんはお寺に来て、私の2歳の娘と遊ん でいました。

1時間もたったころでしょうか、娘がよちよちと私のい る部屋へやってきて、「じいちゃん、ねんね」と言うのです。私は何か不吉な予感がしたて、慌てて本堂へかけつけてみ ると、お爺さんは横たわり、もうほとんど息をしていませ んでした。

「ご臨終です」

私は慌ててお爺さんのかかり付けのお医者さんと、その 他2、3人の医師に電話をしました。早速2人の医師が来ら れました。二人ともお爺さんの瞳孔を診て、脈を取り「ご 臨終です」といいました。

偶然その日は15人ほどの信者さんたちがお寺にいました。 日蓮宗の総本山身延山久遠寺に参詣する団参旅行のために 集まっていたのです。

「何と幸せなのでしょう!」

団参の一員としてその場所にいた奥さんは、「夫はなんと 幸せなのでしょう。お寺で、それも日蓮聖人の前で死ねる なんて、こんなありがたいことはない」と言いました。

誰からともなく、みな自然とお題目を唱え始めました。 団扇太鼓を手に取り、太鼓に合わせて大きな声でお題目を 唱えました。およそ15分くらいたったころでしょうか、300遍ほどお 題目を唱えたときです、お爺さんが意識を取り戻したので す。お爺さんは病院せず、1ヵ月ほどお寺に留まり毎日医 師の往診を受けました。

その後お爺さんは自宅に帰り、完全に回復しました。後 遺症もなく、以来8年の間、毎日お寺に参詣するようにな りしました。

遠くの音

その出来事から数年経って、私はお爺さんに生き返った ときのことを聞いてみると、「遠くから太鼓の音が聞こえ始 め、音の聞こえる方へ近づこうとしていると、意識が戻った」 とお爺さんは教えてくれました。

お爺さんの経験はお題目が一度死んだ人を生き返らせる ことができることを示しています。しかし、より大切なこ とは(お題目を唱えることで)生きている私たちが生まれ 変わって、新たな人生を始められるということです。

III

孝とは高なり

孝とは高なり

お題目を唱えるとき、私たちは本人に自覚がなくても、 子としての親への義務(孝行)を実践しているのです。「天 高けれど考よりは高からず、・・・地厚けれども考よりも厚から ず」と日蓮聖人は示されています。お釈迦様は90日間の瞑 想の後、母上である摩耶夫人のために「報恩経」を説いた と伝えられています。

東京の池上本門寺におまつりされている国宝の日蓮聖人 像は、聖人のお母様の髪の毛を帯していることで知られて います。髪は御像の右の手に握られている払子の中にまと められています。

本門寺は日蓮聖人が入滅された場所に建っています。

日蓮聖人が僧侶としての修行を始められるため、11歳の 時に現在の千葉県小湊にある清澄寺に入られたとき、お母 様から髪の毛をいただかれたと伝えられています。聖人は その髪の毛を生涯を通じて肌身離さず身に付けられていま した。

身延山山頂にて

ご両親の恩を報じるため、晩年の日蓮聖人はしばしば身 延山山頂へ登られ、ご両親のお墓の方に向かい礼拝されま した。両親の恩に報じ、また、孝行を尽くすことは容易に できることではありません。我が身をいとわず孝行を実践 した娘さんの話を紹介します。

益枝ちゃん

益枝ちゃんは私のお寺から川を隔てて反対側にある旅館 を営む夫婦の16歳になる娘さんでした。

彼女のお父さんは昼間は大分県庁に勤めていましが、突 然事務所で倒れてしまいました。すぐに病院に運ばれまし たが意識不明の重体でした。奥さんはすぐに病院にかけつ け、旅館の仕事を放り出してご主人の看病をしました。

ご夫婦には3人の娘さんがいましたが、長女は遠くに嫁 に行っています。次女も大学へ通っているため家から遠く 離れています。そのようなことで、家にいて旅館の面倒を みられるのはただひとり益枝ちゃんだけでした。可愛らし い彼女はお寺に私を訪ねてきて、「私にできることがあれば 何でもしますから、父の命を助けてください」と涙ながらに うったえました。

「私は医者ではないので、お父さんを治す ことは出来ません。でも、病気は治せないが、あなたが一 生懸命回復を祈願すれば、お父さんは必ず助かります」と私 は答えました。

お百度祈願

翌日から益枝ちゃんはお寺で、毎日お百度祈願のお参り を始めました。学校へ行く前にお寺を訪ね、お題目を唱え ながら鬼子母神様の石像の廻りを裸足で100回まわりまし た。激しい雨が降ろうが、強い風が吹こうとも彼女はこの 修行を21日間続けました。

彼女の行いは広く学校でも知ら れるようになり、しばしば友達にひやかされました。21日 間のお百度参りは満足な結果を得られないまま終わりまし た。しかしながら、不思議なことに、彼女が3度目のお百 度参りを終えたとき、お父さんの意識が回復したのです。

益枝ちゃんの父親への孝行は立派なものです。しかし、 もっと大事なことは、両親の没後に親からいただいた恩に 報い供養することです。

IV

他人のための祈り

他人のための祈り

お題目をお唱えすることで、おのずから現証のご利益をい ただくことが出来るのです。

しかし、そのようなご利益も私たちが自分の利益のみを 願っているかぎりいただけるものではありません。どれほ ど一生懸命にお題目を唱えようとも、自分のために唱えて いるかぎり、自分自身の願いが次々と叶えられることはあ りません、しかし、他の人のためにお題目を唱えると、私 たちの願いは叶えられます。

ここに紹介するのは、(お題目の功徳によって)眼が開い た二人の方のお話です。それは今から45年前、私が九州大分の本光寺というお寺 で小僧をしていたときの話です。当時すでに90歳だった秦 野クメというお婆さんが次のような話をしてくれました。

小学校に入学する数か月前、クメさんは突然原因不明の 理由で視力を失ってしまったのだそうです。町の眼科に毎 日通い続けましたが光がさしません。お父さんの喜作さん は、ふと、身延山第11世日朝上人の書かれたお曼荼羅が菩 提寺にあることを思い出しました。

日朝上人は眼病を守護 で有名です。このお上人(日朝上人)に眼病の平癒を祈願 すればその願いは報われると信じられています。

お題目

喜作さんは毎日娘さんを医者に連れ行き、一日の仕事が 終わるとお寺へ行き日朝上人のお曼荼羅の前に座り時間の たつのも忘れて夜が更けるまでお題目を唱え続けました。

喜作さんは娘さんの視力の回復を祈願して、3週間の祈 りを3回捧げることを決意したのです。もしも、私の願い に日朝上人が応じてくださらないならば、自分の眼をくり 抜いて日朝上人へ供養しようとまで考えました。喜作さん は懐にいつも小刀を持ち歩いていました。

不思議なことに、3度目の21日間の唱題祈願が満行した 翌朝、娘さんの眼にうっすらと明かりが差し込みました。 彼女の眼は小学校に入るまでに完全に治ってしまいました。 後年、彼女は女学校を卒業して学校の先生になりました (当時、女学高=女子高等学校で学ぶ女子は多くありません でした)。

経文に「六つの清い器官、または感覚(六根清浄)」とい う句があります。眼、耳、鼻、舌、身、意のことです。そ れらの器官が清浄になることにより、寿命が延びるのです。 そのなかの「眼の功徳」は最も有り難い功徳です。

2人目は内川文香さんという70歳の方です。彼女はお嫁 に行った後、姑さんにお題目の功徳を教えられました。内 川さんは若いときから眼が悪く、年とともに殆ど見えなく なってしまいました。病院に通っても原因不明です。

覚林坊

内川さんは姑さんのすすめで、日朝上人がまつられてい る身延山東谷の覚林坊を訪ねました。彼女は遠く九州から 5度もお参りしたのです。

「私が目は見えなくとも仕方がないけれども、それで周り の人に迷惑をかけます。私の目が見えないために周りの人 を困らせないよう日朝上人に眼の回復を祈願したのです。 もし、私が自分のためだけに祈ったならば、私の視力は回 復しなかったでしょう。」と内川さんは私に話してくれまし た。

お題目の功徳は敬虔な唱題修行の結果としてもたらされ るのです。お題目を唱えましょう。

(編者註) 日朝上人(1442-1500) は1462年に身延山第11世法主となり、 37年間の在山中に寺観を一新されるとともに、祥月や年回の法 要の制度を整えられ、また、法華経や日蓮聖人の教えに対する 多くの論文を書かれました。晩年は視力が衰え、日蓮聖人に視 力回復の祈願をされました。上人はその祈りの中で、もし視力 が回復するならば、目の病気で苦しんでいる人々のためにでき る限りのことをいたしますと誓いました。そうして上人は視力 を回復したのです。

V

菩薩道

菩薩道

私たちがお題目を唱えるとき、お題目を唱えるのは自分 のためではなく、人の利益のためであることをはっきりと 知るべきです。

法華経の修行は菩薩行です。大乗の修行です。

大乗(大きな乗り物)とは一人のための乗り物ではあり ません。それは出来るだけ多くの人を載せ悟りの世界、即 ち成仏の世界へ進む乗り物です。

たくさんの人が集まると考え方の違いや、諸々の理由でい つしか争いが起こります。

他人に席を譲るなど、人々のことをよく考え行動したい ものです。このような行動こそ菩薩道の修行であり、相手 の立場や状況を考えた行動です。

1950年に私が厳しい100日間の荒行に入る前のことでし た。農家の主婦である、渡辺イノさんが病気で倒れました。

六人の子供

夫婦には6人の小さな子供がいました。ご主人の渡辺仙 治さんはお寺を訪ね、畑の仕事をしながら子供の世話をす るのはとても大変だとこぼします。

私にはこの夫婦に何をしてあげたらよいのかわかりませ んでした。荒行で修行し、このような事柄について学ぶ前 でしたから、お経のどの箇所を読んで奥さんの闘病平癒を 祈願すべきなのかまったく見当がつかなかったのです。

それでも、私は決心して「このお経は世界でも最も優れ た薬であり、もし誰かが病気になったとしても、この経を 聞けば、その病は一瞬のうちに消滅し、年を取らず、不死 の境地を得る」(法華経二十三章、薬王菩薩本事品)という 法華経の一節をくりかえし読み、一緒にお唱題を修行をし ました。奥さんの病気は元気なりました。

数年後、その農夫は亡くなりました。私が通夜にうかが ったとき、孫の宣子ちゃんがすっかり沈んでいました。

私は彼女を励まそうと思い、「おじいさんはとてもやさし い人だったね」と声をかけました。

すると彼女は「おじいさんはこの春、私に赤い車を買っ てくれ、その上毎朝、毎晩、私が事故に遭わないようにと お題目を唱え、お祈りをしてくれました。」と答えました。 そういう彼女の目は涙で溢れていました。

信心深い信徒

このように、このお百姓さんは若いときは奥さんのため に、そして、年老いてからはお孫さんのためにお題目を唱 えたのです。彼は私の寺の唱題修行の会のとても熱心な会 員でした。

私は小学校4年生のとき、赤痢で死にかけました。おし りに食塩注射をされました。最初の注射は覚えていました が、2本目のときはほとんど意識を失っていました。

私が助かるとは誰も思いませんでした。だれもが高熱が 致命的であると思っていたのです。両親は私に病院よりも 自宅で息を引き取らせたいと考えました。成人してから聞 かされたことですが、祖母は私のために「孫を助けてもら えるなら、私の命を差し上げます」とお祈りしたそうです。

私の病が癒えて数ヵ月後、祖母は私の目の前で亡くなり ました。

人のために祈ることは清い行いです。

VI

罪を滅す

罪を滅す

私たちがお題目を唱えることは、自分自身の罪を消滅す ることです。

荒行に入行している僧侶は日本の最も寒い季節に100日間 を通して1日に7回水をかぶります。

水行は朝3時に始まり、その日最後の7回目の水行は夜 11時に行われます。

凍てつくような冷たい風にさらされながら僧侶たちは 「私の罪を消滅したまえ」と大声で唱え、頭から桶いっぱい の水を何杯もかぶります。

風が冷たければ冷たいほど、罪障消滅のための行に参加 していることを強く自覚します。

しかしまた、修行僧たち は冷水を頭からかぶり、寒風の中でこんな厳しい行をしな ければならないほど何を悪いことをしたのだろうかとしば しば自問します。そして、「志願してこの修行に参加した以 上逃げ出すことはできない」と自身に言い聞かせるのです。

大きな間違い

私たちはたとえ自分が気づかず、また、法廷で裁かれな くても、日常の生活の中でいくつも大きな間違いを犯して いるものです。

例えば、私たちの心は貪り、怒、不平といった邪悪な気 持や考えに満ちています。このような邪悪な感情や思考は 他人を傷つけます。

また、私たちは他の生き物の命を奪っていることに気付 かなければなりません。なぜなら私たちは生きているから です。都会では蟻を見つけることもまれであります。この ことは多くの生き物を殺しているという証明でもあります。

お題目を唱える人は長寿だといわれます。それは、お題 目のの力で心を浄化しているからです。

汚い水を飲めば私達は体をこわすでしょう。私たちには きれいな水を必要とします。

法華経の一節「不染世間法如蓮華在水(蓮の花が泥水の 上に花を咲かせるように、世間の悪い行いに染まってはい けない。)」

小野由恵夫人

私が住職をするお寺の開基檀越を開創したお檀家に嫁い だ小野由恵夫人は96歳で亡くなる直前まで、とても元気に 暮らしていました。

彼女の父の一族は、かつてはお城の敷地までも所有する 大地主でした。しかし、その家運は没落し、彼女の父親の 代にはわずかにお城の西の隅にある処刑場の跡地を所有す るのみとなっていました。

父親は先祖の供養のためにとその敷地に小さなお寺を建 て、そこで修行を始めました。彼はこのお寺を一人の僧の 導の下に建立したのです。

その僧は、彼女の父親からどのように先祖の罪障を償う ことができるか訊ねられたとき、お寺を建てるように奨め たのです。

また、その僧は、お寺ができれば彼女の父親やその家族 がそこで修行できるだけでなく、近所に住む多くの人がお 寺を訪れ、仏様の教えを受けることができると、指導しま した。

娘である小野由恵さんは、先祖の罪を子孫には残すまい と、熱心にお題目修行に励まれました。

仏性

お題目を唱えると、罪を消滅させるだけでなく、仏様の 力が働いて、私たち一人一人が持っている仏性の芽が大き く育ち、悪い行いをストップさせます。 •

また、物事を善意に解釈し、自分を反省するようになる のです。このような心の変化は朝日に露が消えるようにご く自然に起こります。

(編者註) 大荒行(厳しい禁欲的な修行)は千葉県市川市の法華経寺に おいて毎年11月1日より2月10日までの100日間行われ、毎年約 150人の僧侶が修行に参加します。

VII

お題目を繰り返し唱える

お題目を繰り返し唱える

「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱えると、真のお題目が生 まれます。

「いくら数多くお題目を唱えても、心から唱えたお題目で なければ何の役にも立たない。」「繰り返し、繰り返しお題 目を唱えたとて、利益はない。」「例え3遍のお題目でも心 から唱えることが大事だ。」などとよくいわれます。

このように、繰り返し唱えるお題目の功徳を否定する意 見もあります。はたしてそうでしょうか。私はそうは思い ません。

実践の繰り返し

反覆練習はよい結果を生みます。スポーツの世界では常 識です。学問や芸術、その他すべての分野でも何度もアタ ックしてより高い水準に到達することができるのです。こ のことはまた「すばらしい法」、「妙法蓮華経」の「妙法」にお いてもいえることです。

およそ200名の人たちが拙寺の「無量唱題修行」に参加して います。その中のおひとりはすでにお題目を800万遍以上唱 えています。

16年以上

この修行は1980年の1月1日に始まり、16年続いていま す。ということはこの人は毎日1500回遍余りのお題目を唱 えている勘定になります。ほかに3人の方が700万遍に近づ いています。

お寺では毎朝、お題目を300遍、夕方に500遍唱えます。 この日々の修行のほかに、会員は月に4回「1000遍お題目 修行」のために集まります。今までにお題目を800万遍唱え た会員の方はこの会を一度も休んだことがありません。で すから、この方は毎日自宅で七百数十遍のお題目を唱えて いるはずです。

30分で100唱

私は皆さんに約5分間で100遍のお題目を唱えるようおす すめしています。ですから、お題目を700遍唱えるのに30分 あまりかかります。30分の修行でしたら続けるのも困難な ことではありません。しかしながら、この修行を十数年間 も休むことなく、まるで川の流れのように続けることは稀 なことであります。

最多数のお題目を唱えている方は、80歳をすぎています。 昼間は畑に出て野良仕事をし、夕方に疲れると家へ帰りま す。

「あなたは、本当にたくさんお題目をお唱えし、皆さんの お手本です。」これは10,000遍の唱題を達成するたびに私が 証書を手渡すときに贈る賛辞の言葉です。

本当のことをいえば、彼はこれよりももっと多くのお題 目を唱えています。なぜならば畑で仕事をしている間も、 道を歩いているときもお題目を途切れることなく唱えてい るからです。

無限

お題目を唱えるのにこれでいいという数はありません。お 題目をこんなにもたくさん唱えたので、お題目を唱える修 行を完成したなどということはとてもいえません。

私たちは空気の中で生活し、絶えず空気を吸ったりはい たりしているのに空気の存在を意識していません。1日中、 絶え間ないお題目、なんとすばらしいことでしょう。

VIII

地球を包もうお題目で

地球を包もうお題目で

私たちがお題目を唱えることは、仏様の慈悲をいただく ことです。「慈悲の心をもって身を修めれば善く、仏の智慧 の世界へ入ることができる」と法華経に説かれています。 私はこのお経を座右の銘としています。

仏の智慧

仏様の智慧は私たちが学校で習ったり、本を読んで学ぶ 知識ではありません。仏様の智慧は私たちに真実の生き方 を教えてくれます。俗にお年寄りは知恵袋といわれていま す。それは長い年月の人生経験は、たとえ理論的でなくて も真実の生き方を示しているからです。

この「お題目の意義と功徳」のシリーズも第八回目、最 終回になりました。これらの話しは長年唱題修行を続けて いる人々から学んだ教訓です。それぞれの回で学んだこと をもう一度見直してみましょう。

お題目を唱えることは、

  1. 宇宙の真理にしたがって生きることです。
  2. 人として生まれ変わり、人間らしく人生を送ること です。
  3. 親への孝行に努めることです。
  4. 現証のご利益をいただくことが出来ます。
  5. 自身のためだけでなく、人のためにお祈りをするこ とです。
  6. 自身の罪を消滅することです。
  7. 繰り返し唱え、真のお題目の意味を理解することで す。
  8. 仏の慈悲と智慧をいただくことです。

限りのない徳

お題目による徳は上に挙げただけではありません。無量 のお題目を唱えれば、無量の功徳、利益を私たちはいただ くことが出来ます。

前にもお話しましたように、お題目の功徳や利益は願う ものではないのです。お題目を唱えて、修行を続けている うちに自然に功徳をいただき、さらに、人生で大事が起き たときに初めて、その功徳が真に偉大なることがわかるの です。

私たちはしばしば仏様や諸天善神に「大難が小難に、小難 は無難に」と祈ります。しかし、たとえこのように唱えなく とも、お題目を唱え続けていればその通りになるのです。

仏様に身をまかせ

このように信じ、唱題修行に集中すれば、いつも仏様に 身をまかせるようになり、自分の心と人々の心を浄化する ことができます。

そして、お題目が世界中に弘まった時、清らかな地球と なり、世界の平和が実現されるのです。

日蓮聖人略年表

年 月日 年齢 事跡
12222月16日千葉県小湊に生まれる。
12335月12日11清澄寺に入る。
123715道善房を師とし出家する。蓮長という名を与えられる
123816鎌倉にて念仏および禅を研究する
124220延暦寺(天台宗、滋賀県比叡山)に学ぶ
12534月28日31立教開宗。お題目を唱え、法華経の弘通を開始する。
125432念仏に対して否定的な聖人の教えは受け入れられず 清澄山を追われる。鎌倉へ。
日昭入門 日朗入門。
1258
1259
36
37
実相寺(静岡県)にて一切経を閲読す
日興入門。
1260
8月27日
38「立正安国論」を著し、幕府の要人に奏進す。
松葉谷の法難
126139伊東へ流罪。
12632月22日41伊東流罪放免
日持入門
1264
1271
11月11日
9月12日
42
49
千葉県東条にて、小松原法難に遭う。
龍の口法難。
1272
1273
11月28日
2月
4月
50
51
佐渡へ流罪となる。
「開目鈔」を著す。
「観心本尊抄」を著す。
最初の曼荼羅ご本尊を図顕する。
12742月
3月
5月17日
52佐渡流罪放免。
鎌倉へ帰る
身延山へ向かう。
127553撰時抄」を著す。
127654「報恩抄」を著す。
12829月8日
9月18日
10月13日
60病気療養のため身延山を離れる。
東京都池上の池上宗仲邸に入る。
ご入滅
12835月身延山ご廟所にご聖骨を奉安する。

あとがき

「人生に於て非常な困難に直面したとき、お題目を唱える とその功徳は実に大きなものである。」

九州の法華寺のご住 職菊池泰瑞上人はこの確信において比類がありません。上 人はこの信念にたって、自身もお題目を唱え、人々にも奨 めています。

このことが、私が上人に「お題目の意義と功徳」という テーマで日蓮宗宗務院と日蓮宗海外布教後援会の共同出版 である「日蓮宗ニューズ」にシリーズの記事を書いていた だくことをお願いした理由です。シリーズは隔月発行のこ の新聞に1993年2月号より、1994年6月号まで8回にわたり掲 載されました。

原文は日本語で書かれ、私が訳し、堀教通上人に英文の 校閲をたまわりました。また、及川玄一上人はこのシリー ズをこの小冊子にまとめる編集を担当しました。
文責島啓隆

菊池泰瑞師

菊池泰瑞師略歴

大分県豊後高田市 日蓮宗法華寺住職

立正大学卒

大分県宗務所長

九州教区長

日蓮宗新聞社 社長

現在、同社取締役

お題目の功徳と意義

発 行日 平成八年三月廿四日

発 行者 日蓮宗海外布教後援会

〒160 東京都新宿区西新宿7-12-5 常圓寺内

電話 03-3371-1797 FAX 03-3371-1775

イラストレーション 岩野 希久子

編集・レイアウト 有限会社 モルト

印刷・製本 有限会社 宮野印刷

◎日蓮宗海外布教後援会 Printed in Japan, 1996