私たち日蓮宗の檀信徒は、お題目(南無妙法蓮華経)を世界に広めるためにこの世に誕生された日蓮聖人の教えを信奉しています。「法華経は仏の御心であり、私の心は南無妙法蓮華経以外にない」と仰った日蓮聖人の御言葉を固く信じ、私たち日蓮宗の檀信徒は、精神的基盤であるお題目が、久遠の御仏、法華経、そして日蓮聖人を包み込むものであると認識しています。
さらに、私たち日蓮宗の檀信徒は、「今日のお題目は過去の時代のお題目とは異なり、自分のためだけでなく他者のためのものでもある」と仰った日蓮聖人を信じています。したがって、私たち自身がお題目を唱えるだけでなく、他者にも同じように勧めることで、皆が唱題、祈り、そして仏道を実践し、この世界そのものが仏国土であると悟るまで努力を続けます。
平和への願いにもかかわらず、現実には人々は果てしない争いを続けています。さらに、その争いはますます激しさを増しており、もはや人類のこの危機を無視することはできません。
この危機への認識からこそ、私たちはすべての日蓮宗檀信徒に立ち上がるよう呼びかけ、それが護法運動へとつながりました。私たちのささやかな運動では大きな時代の潮流を全く変えることはできないと嘆く人もいるかもしれません。しかし、「すべての悪は一つの善に勝つことは決してできない」と仰った日蓮聖人の信奉者として、私たちが一人でも残っている限り、真実の信仰である法華経を広めることをやめてはなりません。
この目的のために、日蓮宗の檀信徒である私たち一人ひとりが揺るぎない信仰を確立し、社会において指導的な声を強めるために団結しなければなりません。個人の尊厳を無視するわけではありませんが、利己主義や独善は受け入れません。法華経は菩薩の道(仏に向かう道)であると言われています。菩薩は利己心ではなく無私の心に生きがいを見出し、慈愛の行いに深く心を動かされます。今日の人々の苦しみは、連鎖するエゴイズムから生じていると言えるかもしれません。法華経に説かれている菩薩の道だけが、これに終止符を打つことができます。今日、理想の世界はまだ手の届かないところにあるように見えます。しかし、法華経の信者が結束し、神仏の感応を得れば、世俗の利益や欲望を克服することはたやすいことです。残念ながら、多くの人が学問や修行で優れた成果を上げているにもかかわらず、日蓮宗の檀信徒の間で協調した努力がなされてきませんでした。そのため、日本が統一された公教育制度を確立したように、私たちは信仰と修行の統一されたシステムを通じて、すべての日蓮宗檀信徒の信仰と修行を強化することに努力を集中するつもりです。宗祖降誕750年(1972年)を契機として、日蓮宗檀信徒の信仰と修行を確立するための大改革を行いたいと願っています。意見が異なることは承知していますが、広い視野を持ち、信仰と修行の統一システムをもたらすために始まったばかりのこの運動に参加し、同じ信仰を持つすべての日蓮宗檀信徒が、どの寺院や結社に属していても、この統一された基本プログラムを学び、日蓮聖人が仰った「日蓮の門下」としてふさわしい者となれるよう、心からお願いします。すべての日蓮宗檀信徒が共に法要を行い、座談会に参加し、「共に成仏する」という同じ目標を持って共に生きることができると信じています。したがって、このハンドブックは、同じ信仰を持ち、同じ規律を実践する人々の間の共通の絆です。所属する寺院や教会を通じて檀信徒が入手できるものであり、そのように大切に扱われなければなりません。
昭和47年(1972年)4月
日蓮宗管長
渡辺 晃胤
1966年以来、日蓮宗の護法運動が広まり、その意義は日本の日蓮宗信徒に十分に理解されてきました。その現れとして、渡辺晃胤前管長は1972年に、全国的な信行統一を確立するためのマニュアルとしてこの『信行必携』を編纂し、護法精神の確固たる基盤を築き、それを広めるための先頭に立ちました。こうして、私たち日蓮宗信徒の間の信行に基づく生活は豊かになり、日蓮宗信徒であるという自覚が明確になりました。このような状況のもとで、私たちは、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌という1981年の記念すべき行事を迎えるために、信行統一運動が生み出す大きな力を結集しようとしています。宗祖日蓮大聖人が、仏の心の真髄である法華経の教えを表すお題目「南無妙法蓮華経」を広められたとき、それは日本だけでなく世界中に広められるべきだと指摘されました。これに従い、私は護法信行統一運動も海外に広く普及させるべきだと信じています。そのため、『信行必携』の英訳版の早急な出版を促しました。ハワイ日蓮宗別院の堀教通開教使が、親切にも英訳の責任を引き受けてくださいました。彼の努力の結果、私たちはついにその出版の日を迎えることができました。彼に深く感謝の意を表したいと思います。海外の方々がこの『信行必携』を手にし、法華経の心と宗祖の教えを唱え(口で)、保ち(心で)、実践する(体で)ことによって信行を実践し、この世界が明るく安全になり、誰もが仏国土での生活を享受できるようになることを心から願っています。海外の開教使の皆様一人ひとりが積極的な布教活動に従事されることを心底より祈念いたします。
昭和53年(1978年)9月
日蓮宗管長
松村 壽堅
法華経と日蓮聖人に従う(檀信徒のしおり)
1. 日蓮宗の教えと檀信徒の務め
日蓮宗は、釈尊の最高の教えである法華経を基礎としています。宗派の創始者は、法華経の教えを実践した日蓮聖人です。私たちは法華経と宗祖である日蓮聖人の教えを信じ、すべての人々に幸福をもたらし、社会の平和を維持し、仏国土を実現するための手段としてその教えを広めようと努めています。日蓮宗だけが、過去700年間、伝統的にこれらの目標を維持してきました。身延山の久遠寺(宗祖の寺)は、私たちの信仰の中心地です。東京の日蓮宗宗務院は、組織と実務の中心です。私たち僧侶と檀信徒は、この現代において法華経と日蓮聖人の教えに従って生きるために一致協力しています。
私たちの信仰は、僧侶と一般の信徒を区別しません。僧侶の活動拠点は寺院、教会、または結社であり、そこでは個人的および社会的な信仰の普及、法華経と日蓮聖人の教えの研究、および仏教儀式の執行に責任を持っています。一般の檀信徒は、世俗的な生活を送りながら、信仰と修行に懸命に取り組み、教えを実践する責任があります。このようにして、私たちは教えの真実で素晴らしい側面を広めています。僧侶と檀信徒の間の団結と協力があって初めて、日蓮仏教に対する信仰を強化することができます。私たちの信条は前のページに記載されています。私たちがどのように行動すべきかは、このハンドブックに記されています。したがって、私たちは常にこれを持ち歩き、信仰を深め、修行を実践し、仏の教えを学ぶ際に参照すべきです。
2. 仏教の真髄としての法華経
釈尊は法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)を説くことに心を注がれました。仏陀は私たちに法華経の精神をこの世で明らかにされました。法華経に書かれていることは、私たちには単なる文字の羅列のように見えるかもしれませんが、それらの文字の一つひとつは実は仏陀ご自身であり、私たちに語りかける仏陀の御声なのです。したがって、日蓮聖人は、法華経を信じる者は仏陀ご自身を敬い保つことになると私たちに教えられました。
仏陀の究極の言葉である法華経の最も重要な二つの要点は、(1)誰もが仏になることができる(二乗作仏)、(2)仏陀の命は過去、現在、未来を通して永遠であり、常に私たちが成仏できるように助けようとされている(久遠実成)ということです。日蓮聖人はまた、法華経は仏陀の全教えの真髄であり、「自我偈」(第16章の最後にある韻文部分)は法華経の心であると述べています。法華経の第16章「如来寿量品」では、(1)仏陀は太古の昔から永遠の未来に至るまで、常に私たちとともにおられたし、これからもそうであること、(2)仏陀はこの末法の世で苦しむ人々を救い、彼らが成仏できるように常に努められていることが説かれています。また、「人々が信心深く、素直で、穏やかになり、命をかけても全身全霊で私に会いたいと願うとき、私は弟子たちとともに霊鷲山に姿を現すであろう。私は常にここ(霊鷲山)におり、方便として時には死んだように見えることもあるが、実際に死んだことは一度もない。私を敬い、私を信じ、私に会いたいと願う者がいるときはいつでも、私は彼らの前に姿を現し、彼らに語りかけるであろう」と説かれています。仏陀はあなたと私を深く気にかけており、私たち全員を救うことを望んでいると仰っています。日蓮聖人は、法華経を、第16章で説かれているように仏陀がご自身に直接語りかけているかのように解釈されました。
法華経の第16章、特に自我偈の中で、仏陀は例外なく私たち全員が救われ、成仏することを宣言し、すべての人に仏の道を示そうとされています。仏陀は、法華経の言葉を聞いて本当に幸せを感じ、その一言一句を受け入れ、保とうとする人々の功徳を列挙されています。法華経には、「法華経を信奉し、弘める者には数々の困難や迫害が降りかかるかもしれないが、誰もが成仏できるという信念を持ってそれに耐えなければならない。彼らはこれを他の人々に説明すべきである。これこそがまさに法華経の行者の務めである」とあります。
私たちの宗祖である日蓮聖人は、仏の精神は法華経にあり、それが「南無妙法蓮華経」というお題目(聖なる題目)に結晶化されていると固く信じておられました。上行菩薩は、末法の時代の人々にお題目を広めるという任務を託されました。自分が上行菩薩であると自覚した日蓮聖人は、法華経を広めるという義務を引き受けられました。上行菩薩は大地から湧き出た多くの菩薩の指導者であり、それは彼が一般大衆の中から現れる指導者であることを意味しています。日蓮聖人は自己のプライドを超え、上行菩薩のように、人々を救うために法華経を教えることを誓われました。私たち日蓮宗のメンバーは、日蓮聖人を仏の使い、つまり自らを上行菩薩と信じた法華経の行者として仰ぎ見ています。したがって、私たちは、法華経にその精神が宿る永遠の仏陀の命であるお題目(聖なる題目)を保つことによって救われるのです。迫害や苦難にもかかわらずお題目を広め、正義を確立することによって国中に平和をもたらすことを願った日蓮聖人が実践されたように、法華経を信じることによって私たちは救われます。
3. 法華経の正しい信仰のあり方
法華経に対して正しい信仰を持つためには、以下の規則を心に留めておくことが重要です:
- 前述のように、「南無妙法蓮華経」を信じ、唱えることが重要です。言い換えれば、釈尊の使いである日蓮聖人のご指南に従い、私たちは法華経を鏡とし、日常生活を送る中で心からお題目を唱えなければなりません。
- 法華経は、末法(正しい教えが衰える時代)に生き、苦しみ、悩みの中にある私たちのために説かれたものであることを認識しなければなりません。私たちがお題目を唱えるのは、自らの仏性を発芽させ、育むためです。地位、名誉、富への欲望のみに動機づけられた人生に生きる価値があるのだろうかと疑問に思いながら、私たちは人間の不平等、病気や痛みなどの人間の苦しみ、社会や家庭における人間関係のトラブル、死の恐怖や悲しみに対する解決策を探し求めています。これこそが、法華経と日蓮聖人の教えが解決策を提供する部分です。日蓮聖人は、「南無妙法蓮華経」の「妙」とは蘇生(よみがえり)を意味すると言われました。それは、私たちが仏の教えに従って日常生活を力強く生きることを意味しています。
- 私たちは現代に生きています。公害、交通事故、戦争が人間を脅かす時代において、私たちは平和と幸福をもたらす法華経の教えを宣言しなければなりません。日蓮聖人は人々の苦しみ、痛み、悲しみを直接観察し、お題目によってそれらの解決策を見出そうとされました。法華経には、「常に苦しむ者は、最終的に悟りを開く」とあります。それは、人生の苦しみや悲しみを無視するのではなく、悲しい現実に正面から向き合い、困難から逃げることなく、死の恐怖なしに生き、謙虚に仏の救いを受け入れるべきだと教えています。
- 私たちは、法華経が日本を起点として世界中に広められるべきであることを知らなければなりません。私たちは、日本国民だけでなく、世界中のすべての人々がお題目を唱える時代をもたらすように祈り、努力します。そうなれば、社会の誰もが平和で幸せに暮らせるようになります。法華経を広め、この濁った世界から仏の浄土を創造し、すべての人が平和で幸せに暮らせるようにすることが私たちの義務であると信じています。蓮が泥沼に咲き、周囲に美しさを添えるように、私たち法華経の信者は、この濁った世界から暗闇を排除するためにこのように生きるべきです。日蓮聖人が「我、日本の柱とならん」と言われたのは、このことを意味していました。
4. 御本尊と成仏の祈り
私たちの信仰は、御本尊に向かってお題目を唱えることによって、平和と静寂の世界を得ることです。御本尊は永遠の仏であり、私たちが仏に全幅の信頼を置くとき、仏は智慧と慈悲の光で私たちを包み込んでくださいます。法華経第16章に示されている御本尊は、私たちを呼び、私たち全員を救おうとされている永遠の仏・釈尊と、救われること、そして他の人々が救われるのを助けることを心から祈る私たちとの関係です。したがって、私たちは釈尊を御本尊として崇拝します。大曼荼羅は、永遠の仏・釈尊の悟りと仏の御心そのものを表しており、したがって仏の精神そのものを図式化したものです。私たち大曼荼羅御本尊・日蓮聖人宗のメンバーは、この大曼荼羅御本尊を安置し、それに祈らなければなりません。
私たちの祈りの基本形は、お題目を唱えることです。仏の呼びかけと導きに応えて、私たちは祈り、全幅の信仰を仏に置き、仏が蓄積された良いカルマの功徳を受け取ります。お題目は日蓮宗の基盤です。日蓮宗の基本は、朝夕にお題目を唱えることにあります。さらに、日蓮宗宗務院は、毎朝8時に身延山の方角に向かってお題目を唱えることをお勧めしています。これが「護法の祈り」です。これを実践することが重要です。御本尊に向かってお題目を唱えるそのような平和と静寂は、私たちの信仰の現れです。そのとき、私たちは仏に抱かれ、仏と一体になります。私たちは、世界中の誰もがお題目を唱える法華経の普及をもたらすように努めなければなりません。日常生活で信仰と修行を強化する主な手段は、お題目を唱えることです。さらに、補助的な手段として、法華経を読誦し、説明し、書写することを実践することができます。この信仰の日常生活から、仏教に反する悪行、怠惰、不公正を排除し、正義と幸福を願う生き方が生まれます。また、この精神を他の人々に広め、皆がこの目標に向かって努力します。これが菩薩の道です。
成仏するとは死ぬことではありません。お題目を唱えながら、強く、正しく、純粋な人生を生きることです。法華経の信仰と修行を伴う誠実な生活そのものが成仏なのです。言い換えれば、成仏するとは、特定の形態や状態を帯びることを意味するものではありません。それは、永遠の仏への最も誠実な帰依であり、その教えを守り、お題目を唱えること自体です。自分が仏に救われ、仏の浄土に生きることを許されていると信じるとき、人は永遠の心の平安を得ることができます。仏の御前で自己を放棄し、あらゆる邪念や貪欲さを排除し、従順に仏を信じるとき、これが祈りの生活です。それは、厳格な自己反省と、人間らしい生き方を求める慈悲と智慧に基づいています。
信仰は他人に強制できるものではなく、力によって誰かを信じさせることもできません。「折伏」つまり法華経を広める手段だと言って、脅迫や武力に訴えるのは間違っています。折伏とは、他人の宗教的感情を呼び起こし、改宗させるための仏教の厳格な布教方法です。一方、「摂受」は、個人や状況に応じた穏やかな説得方法です。説得の手段として折伏に訴えるには、その人はまず自分自身を厳しく律さなければなりません。前世での悪業を懺悔し償うために仏の教えを広めようと命を懸けた宗祖の生涯を観察することで、法華経を広めるには二つの方法があることを知るべきです。日蓮聖人は、「折伏の手段を用いるべきか、摂受の手段を用いるべきかは、状況による」と仰いました。
5. 祈祷(きとう)の意味
祈りは、私たちの内にある大慈悲の真の表現です。日蓮宗における祈りには二つの意味があります:
- 自分自身と他者が成仏するための祈り。
- 自分自身と他者の生活を向上させるための祈り。第二の意味の祈りであっても、真の信仰生活の補助的なものでなければなりません。
祈りのない宗教はあり得ません。広い意味では、すべての宗教は祈りです。日蓮聖人が「心の祈り」について語られたとき、この二つの関係を強調されたに違いありません。祈りとは、大慈悲の精神ゆえに、自分だけでなく他者の成仏をも切望する心の表現です。利己的な心に振り回され、利己的な欲求や貪欲さから祈るとすれば、それはこれと正反対であり矛盾しています。日蓮宗には「祈祷」と呼ばれる伝統的な祈りの方法がありますが、それも上で述べたように、大慈悲から生まれる内なる真理の表現でなければなりません。言い換えれば、祈祷は自分自身だけでなくすべての他者のためにも成仏を求める菩薩の祈りに基づいていなければなりません。
しかし、いわゆる「祈祷」は通常、人生における特定の願いの成就のための祈りを意味します。日蓮聖人は著作の中で「今生(この世)の祈り」について語られており、伊東八郎左衛門、彼自身の母、富木殿の妻、南条時光の回復のために祈られたことは事実です。これらは過去、現在、未来の生活の向上のための祈りでした。祈りに応えて与えられる目に見える、あるいは目に見えないご利益は、彼自身の信仰だけでなく他者の信仰も促進し、すべての人々が成仏するのを助けるものでなければなりません。
法華経と宗祖の生活における教え
1. うぬぼれや虚栄心を捨て、互いに信じ助け合おう
すべての人は仏の子であり、仏の御前では皆平等です。すべての人は仏性を持ち、仏になることができます。あらゆる妨害にもかかわらず、「あなたは仏になることができるので、私はあなたを敬います」と言って他者を敬い歩き回った常不軽菩薩の行動は、人間性に対する絶対的な信頼と深いヒューマニズムの精神を表しています。
私たちは、地位、財産、職業などの外見で人を判断すべきではありません。代わりに、その人が信頼できるかどうか、うぬぼれて自己中心的であるかどうかを自問して、人柄で判断すべきです。自己中心的な思いが強く、わがままでうぬぼれが強い人は、助け合い、歩み寄り、協力し合う傾向がなく、喜びを分かち合ったり他者の悲しみに同情したりしません。彼は極めてエゴイストであり、自己反省や自己研鑽の傾向がありません。信頼できる人は、自分を扱うように他者を扱います。彼は約束を守り、借りた本にはカバーをかけ、表面的ではなく誠実に他者に助言を与え、相互の信頼を高く評価します。
美しい心を持つ人は、内面の美しさが外に輝き出るため、表面的な化粧を必要としません。彼は信頼感を放ち、エゴイズムの殻に閉じこもることはなく、正しいことを行う勇気を持っています。「心の師となれ、心を師とするな」と日蓮聖人は仰いました。
2. 他者の苦しみや喜びを分かち合い、慈悲の生活を求めよう
「地獄で仏に会う」と言うように、私たちは励ましや哀悼の言葉をかけることで、悲しみや悩みに苦しんでいる人の大きな助けになることができます。私たちは自分自身のことを考えるように他者のことを考え、優しく思いやりのある慈悲の心を持たなければなりません。人生の苦しみを経験することで、人間の問題について深く広い理解を持つことができます。人生におけるこれらの経験の意味を、仏陀と宗祖の教えの鏡に映し出して見出し、絶え間ない自己反省の人生を送り、他者の幸福や悲しみに共感することは、私たちにとって極めて重要なことです。日蓮聖人は、「釈尊がこの世に来られた本当の理由は、人々に生き方を教えるためである」「すべての人の苦しみは日蓮一人の苦しみである」と仰って、これを表現されました。時間や場所によって苦しみの種類は異なるかもしれませんが、人生は苦しみに満ちています。他人の悩みに同情して耳を傾け、慰めてあげてください。そのような人は他者の幸福や喜びを分かち合うこともできます。「お気の毒に」や「よかったですね」と言うのは簡単ですが、それを心から本当に感じることは難しいことです。
愛し合う夫婦は、自分たちだけの大きな世界に住んでいます。恋をしている男性にとっては、焦げるような太陽でさえも祝福の光のように思えます。愛する人のために、彼は「一か八か」の勝負に出でて、愛の深淵に飛び込むことができます。これは狭い意味での愛です。
釈尊は「天上天下唯我独尊」と宣言されました。今日、私たちはこれをうぬぼれた言葉だと考えがちですが、これはすべての人々を救おうとする釈尊の大きな愛と慈悲を表現しています。釈尊は常にこの汚れた世界におられ、救われるためにご自分のところに来るよう常に私たちに呼びかけておられます。これが私たちのための仏陀の愛です。
法華経は、釈尊の私たちに対する愛と慈悲の結晶です。私たちが単に仏陀を慕うとき、この世界がどんなに汚れていようとも、そこは釈尊が現れ私たちと共に生きる浄土となります。釈尊の慈悲と愛に応えて、命を懸けても強く仏陀を慕うならば、これこそが法華経の信仰であり、お題目の心なのです。そのような信仰を持つ人は、私たちが釈尊を信頼するように、信頼できる心を他者の中に見出すことができます。
人々の間の愛はガラスのように壊れやすいものです。人は遅かれ早かれ愛する人と別れなければならず、ここに苦しみがあります。しかし、彼は信仰を通じてそのような苦しみを克服することができ、人間の心の深さとその涙を理解できる人間になることができます。絶望的だと思えば絶望的です。勇気を出して、失敗は失敗、悲しみは悲しみと認め、立ち上がってやり直してください。釈尊は、愛を拒絶する病人に向かって常に呼びかけ、愛の価値と、心を込めて勇敢に他者を愛することを教えておられます。真の愛を知る人は、仏の慈悲の心を感知することができます。
3. 困難にひるまず、退かない心を築く
「幸福なくして苦しみなし、苦しみなくして幸福なし。人生は幸福と苦しみを絡み合わせた一本の縄のようなものである」と言われます。人は人生の中で幸福、苦しみ、喜び、悲しみを何度も経験します。永遠の若さを望みますが、年が経つにつれて年をとっていきます。健康であることを望みますが、病気が体と心を蝕みます。最終的には愛する人と別れなければなりません。人は生まれると、やがて死ななければなりません。どんなに科学が進歩しても、現代人の生活がどんなに近代的になっても、この冷酷な事実から逃れることはできません。これが人生です!本当に人生は苦しみに満ちています。悲しみ、胸が張り裂けるような思い、悲嘆に暮れる苦しみに満ちた人生を、人はどのように生きるべきでしょうか。「人は泣きたいから飲むのか?それとも安堵のため息をつくために飲むのか?」と歌って、単に悲しみを紛らわせるべきでしょうか。「仕方がない」と言ってエゴイズムの殻に閉じこもり、ただ日々を過ごすべきでしょうか。人々を果てしなく泣かせる恐怖、絶望、悲しみ、悲嘆を克服する方法はないのでしょうか。愛、憎しみ、そして常に死の脅威にさらされているこの世界に生きる人間にとって、希望と救いはないのでしょうか。ここに信仰の必要性を見出します。苦しみ、悲しみ、悩み、死に打ち勝つことのできない心、それこそがまさに信仰なのです。この強く勇敢な心は、数十年の人生における経験を通じてある程度養うことができます。また、本や賢人の格言から教えられることもあります。親しい友人の死などの際に、思いがけず心に浮かぶこともあります。しかし、これらの経験は不完全であり、通常は一時的なものです。私たちは確固たる方向性を保つことによって、新鮮な生活を送るためのエネルギーを得たいと願っています。それは直感や一時的な感情ではなく、いつでも、どんな状況が起きても心に刻み込まれている方向性です。
仏教、特に仏の過去のすべての生涯の長い歴史に包まれた仏の智慧と慈悲から構成される法華経を信仰することによって、私たちはためらったりひるんだりしない心を得ます。これは人間の真剣で正しい生き方です。これこそが「求道(ぐどう)」です。道は仏によって示されており、私たちは仏が示されたように、この現代社会で仏の道を適用しなければなりません。
4. 相互の信頼と共感を通じて家庭でより良い信仰生活を送る
日蓮聖人は、「悪は多けれども、一善には勝つことなし」と教えられました。正しさを執拗に主張し、宗教上の反対者を厳しく批判した私たちの宗祖は、貧しい人々や悩める人々に対しては最も優しく、心の温かい人でした。この悪に満ちた時代においても、正しいことが悪に勝つということを、私たち自身の内、家族、そして社会において示すことは私たちの義務です。家庭は、私たちがこれを達成するための重要な場所です。
夫婦: 戦前の日本では、家族は「家」そのものでした。今日、家長が家長としての権威を失い、夫婦が対等なパートナーとなったため、この「家」は崩壊しています。夫、妻、子供たちの円滑な日常生活が、家族の伝統よりも優先されるようになりました。家庭は他人の気持ちを気にせずにリラックスできる場所であることが望まれ、結婚は一緒に暮らす二人が他人のことを気にせずにリラックスできる場所になっています。今日、夫婦が理想を持たないのが一般的な傾向だと言えるかもしれません。しかし、夫婦はお互いの欠点を認識し、それを補うのを助けるべきです。夫婦が、平穏な日常生活の中で向上する努力を続け、年が経っても常に新鮮な見通しを持つことは重要です。この絆があれば、夫婦はどんな困難に直面しても、共同で克服する熱意を持つことができます。この自己研鑽の努力は、「求道心(ぐどうしん)」、つまり夫婦が互いに信頼し、人生の意味を見出し、理想の生活を送ることができる方法に基づいています。理想を求めることをやめると、人は堕落します。愛し合うカップルは互いの欠点を見ることができません。結婚は二人の不完全な人間の組み合わせです。結婚は、夫婦がいつか、何らかの理由で別れなければならないかもしれないという不安感に基づいています。道を求める努力をすることによって、夫婦は理想の生活を見つけ、永遠の絆を結ぶことができます。夫と妻は、共に信仰を深め、人間として成長するよう努めるべきです。夫婦は一対の翼を持つ鳥のようなものです。片方の翼が傷つくと、鳥は飛ぶことができません。彼らは怪我をしたり、暑い気候のために疲れたりするかもしれません。そんなとき、彼らは助け合い、励まし合う必要があります。この助け合いと励ましの心は、夫婦間の重要な絆です。日蓮聖人は、「男は鳥の羽のようなものであり、女は体である。羽と体が一緒に働かないのに、どうして鳥が飛ぶことができるだろうか?」と仰いました。また、「夫が幸せなときは、妻も幸せであるべきだ」「男性の仕事を手助けしている女性が常にいる」とも述べておられます。これらは妻を励ます言葉です。私たちの宗祖は、女性の役割の重要性を明確に認識していました。「家の宗教」を消極的に受け入れるのではなく、夫婦は自分たちの宗教を持ち、法華経への共通の信仰を通じて絆を強めるべきです。
嫁と姑: 嫁と姑の関係は、今日でも厄介な家庭問題です。以前は、結婚が家同士のものであったとき、姑の立場は嫁に対して絶対的なものでした。今日は対等な二人の関係です。妻にとって、姑は単なる夫の母親です。姑にとって、嫁は、自分が苦労して育てた息子を明け渡さなければならなかった人物です。姑は戦前の家族制度の下で困難を経験していました。彼女は、息子が成長することだけを楽しみに、それらの苦しみに耐えました。嫁は彼女にとって、自分の労働の成果を盗んだ人物のようにさえ見えます。しかし、姑は、息子とその妻が自分自身の努力の最高の栄誉として幸せな生活を共有していることに満足すべきです。彼女は、自分が家族制度の下で耐え忍んだのと同じ苦労を嫁に経験させないように努めるべきであり、嫁が夫を助けるのを支援するほど寛大であるべきです。嫁は、姑を単に古い世代の産物として無視すべきではありません。そうではなく、広い心を持ち、さまざまな苦難を乗り越えてきた先輩であり、同性であり、近くに住んでいる姑の経験から学ぶべきです。「袖振り合うも多生の縁」という言葉があるように、私たちはこの不思議な出会い、嫁と姑の関係を軽く見てはいけません。時々、どちらかが病気になったり悩んだりするかもしれません。またある時は喧嘩をして感情が傷つくかもしれません。しかし、両者が互いに思いやりと配慮を持っていれば、溝を埋めることができるかもしれません。二人の間の溝を埋める仏陀や日蓮聖人の教えのような共通の架け橋があれば、嫁と姑は共に仏陀の子であり弟子であるため、互いに信頼し合い、助け合いの精神を築くことができます。富木常忍の妻は90歳の姑の世話をしました。日蓮聖人はこれを聞いて彼女に次のように手紙を書きました。「富木殿は『母が亡くなったことは悲しいことだが、母の最期が非常に安らかであったこと、そして妻が母をとてもよく世話してくれたことは、私をとても幸せにし、このことは決して忘れない』と仰っていました」。
親と子: 子供は親が子供を思うほどには親のことを考えません。しかし、親への義務を子供に押し付けることはできません。むしろ、子供たちは自分たちが親に負っているものを自分自身で認識するべきです。親は各子供の個性を認識し、その成長を助けなければなりません。しかし、親が自分の考えを子供に押し付けると、子供は親の愛を単なる負担だと感じるかもしれません。親は子供の成長のために生きる価値を本当に見出します。それは、子供のために人生のほとんどすべてを犠牲にする親側の絶え間ない苦労を要求します。それは、無私で真剣な祈りに似た心から湧き出るものです。失われた夢を子供の肩に転嫁し、子供にさまざまな要求をするのではなく、親は寛大な心を持ち、子供が自立心と仏陀のような美しい人格を備えた大人に成長できるように見守り保護するべきです。古いことわざにあるように、「子供ほど貴重な宝はない」のです。これこそが本当の親の愛です。親とは、その存在だけで子供が安心できる人々のことです。彼らの間にへつらいは必要ありません。子供は親が自分を育てるためにした努力を知り、これらの不可欠な人々に恩返しをしなければなりません。それは親に盲目的に従うことではなく、親に本当の幸せを与えることができる個人になることを意味します。私たちの宗祖である日蓮聖人は、両親と一緒に海藻(海苔、ワカメ)を採った日々をよく思い出し、故郷を慕い、両親の救済を願っていました。しかし、仏陀が両親の反対にもかかわらず出家したように、日蓮聖人は仏教の普及を親孝行の基礎と考えました。これは、「仏道を成ずるために受けた恩を忘れる者こそ、真に恩に報いる者である」という心地観経の戒めに基づいています。親と子の関係は、単に親が子供を産んだという生物学的な関係ではありません。親が立派であり、子供に正しい生き方を示すとき、理性と愛に基づく親子関係が始まります。私たちの宗祖にとって、親と子の正しい関係は真の信仰(法華経)を中心としています。親が真の信仰に反対するとき、子供が親に真の信仰に従うように勧めることは、子供にとって真に親孝行な行為であると彼は言いました。
兄弟姉妹: 兄弟姉妹は他人の始まりと言われます。これは、血による自然な関係が時として現実によって打ち負かされることを意味します。友人と非常に良い関係を保っているにもかかわらず、兄弟姉妹間の関係が悪い例はたくさんあります。それは、兄弟姉妹間の関係が単なる血のつながりに留まり、心による関係にまで高められなかったからです。心の関係があれば、言葉を交わさずとも見るだけでお互いを理解できます。心の理解があれば、お互いに助け合い、慰め合い、協力し合います。池上兄弟は法華経の熱心な信者であり、私たちの宗祖の弟子でした。阿弥陀仏の信者であった父親が兄弟に信仰を変えるように要求したとき、兄はきっぱりと拒否し、その結果父親から勘当されました。弟は親の愛に惹かれ、心を変える準備ができているようでした。そこで私たちの宗祖は、二人の兄弟の協力は「鳥の二つの翼、または人間の二つの目」のようなものであると言って、兄弟間の絆の重要性を彼らに思い出させました。日蓮聖人はまた、彼女たちの夫を励ますように妻たちに頼み、究極的には女性は男性に支配されているように見えながらも男性を支配するであろうこと、そして夫と妻は互いに助け合うことになっていることを述べました。「お前たち二人の兄弟が助け合い、妻たちの協力のもと、父親を改宗させようとすることは本当の親孝行である」と日蓮聖人は書きました。日蓮聖人は、夫と妻が切り離せないのと同じように、兄弟もそうであるということを意味していました。彼は、性格や職業の違いにもかかわらず、正義を貫くという共通の目的のために二人の兄弟の協力を要求しました。父親のために耐えた苦しみは信仰の強さの試練であり、したがって、もはや困難に耐えられず、父親の願いに従って法華経への信仰を諦めたら、彼ら自身だけでなく両親も地獄で苦しみ、一緒にこれを後悔するだろうと警告しました。このようにして、親と子の関係、兄弟姉妹の関係、夫と妻の関係が明らかにされました。
5. 宗祖に従い、仏の道を歩むことで、昨日より今日、今日より明日が良くなるよう自己修養に努める生活を送ろう
自己: 「桃栗三年、柿八年、達磨は壁に向かって九年座り、私には一生かかるだろう」と言われます。人は一生を通じて努力を続けなければなりません。若さとは単に年齢を指すのではなく、常に真理を求め、知識を吸収し、自己を向上させる新鮮な見通しを持つ人を指します。私たちの宗祖は、信仰に支えられた絶え間ない研究と自己反省とともにその生涯を送りました。「懸命に努力せよ」はまさに釈尊の最後の言葉でした。人は、真の教えを信じて実践し、多くの本を読んで視野を広げる努力をするとき、新鮮な見通しを持ち続けることができます。私たちの宗祖は、「心の財は体の財よりもはるかに価値がある」と言って、心の宝を蓄積するように私たちを諭しました。
師と弟子: 今日、師と弟子の関係は混沌としています。教える側と教えを受ける側の間に共通の絆と共通の大義がある場合にのみ、師と弟子の関係は存在し得ます。宗教上の反対者を激しく攻撃した私たちの宗祖は、弟子や信者に対しては本当に温かい心を持っていました。困難な状況下で信仰を保つ人々を励まし、叱り、温かく指導しました。彼は弟子たちの死に対して、隠すことなく悲しみを表現しました。日蓮聖人とその弟子たちの間に、真の教えに基づいた相互の尊敬と愛があったからこそ、私たちの宗祖が龍ノ口で斬首されようとしたとき、四条金吾のような彼と一緒に死にたいと思う男がいたのです。私たちの宗祖は、「もしあなたの君主がその深い罪のために地獄に落ちるなら、たとえ釈尊が私を仏にしたいと思っても、私はあなたと同じ地獄にお供します」と言いました。日妙尼という女性は、幼い子供を連れて佐渡の日蓮聖人を訪ねました。千日尼という老女は、夫と子供をはるばる佐渡島から身延まで送りました。私たちの宗祖は、師としていつまでも生き続けておられます。宗祖の教えとその生涯を支え、導きの光として、私たちの人生を生きましょう。
職場での振る舞い: 私たちの宗祖は、「自分の仕事を法華経の実践と考えなさい」と言われました。私たちは職場で真実の信仰を活用しなければなりません。信仰は私たちが働き、生活する場所の外には存在しません。職場でも信仰を忘れてはなりません。自発的に仕事に取り組み、言うべきことを言う勇気が必要です。私たちの宗祖は、「主君に正しい教えとは何かを言わなければ、あなたは主君が正しい教えを謗ったのと同じくらい罪深い」と言われました。それは、最後まで正義を持って生きることが重要であるということです。それは、上司にゴマをすったり取り入ったりすることへの批判です。私たちが正しいことを言う勇気と、抑えることのできない正義への衝動を心の奥底に持つことは重要です。私たちが仕事にやりがいを見出すことは本当に望ましいことです。正義を主張するにあたっては、与えられた状況下で機転を利かせ、敬意を払い、誠実でなければなりません。上司は部下を育て、助け、励まし、昇進させるよう努めるべきです。気楽であったり、恩恵を与えたり、親切であったりするだけでは十分ではありません。小さな善行は良いことかもしれませんが、それは大きな善行を損ない、悪の世界への転落を引き起こす可能性があります。悪を懲らしめない限り、人は成仏することはできません。正義を主張するとき、たとえ叱られたとしても、平静を保ち、穏やかな言葉を使わなければなりません。まず第一に、彼はうぬぼれや利己主義を拒否し、互いに協力し助け合わなければなりません。これが人間の生き方であり、仏の教えと一致しています。私たちの宗祖は、「目的を達成するためには、経典、行者、信者の三つの力の協力が必要である」と言われました。これは、協力的な方法で信仰を広めるための組織化されたシステムを持つことが重要であると彼が考えたためです。
6. すべての人々の幸福と社会の平和をもたらすために努力しよう
現代の私たちの日常生活は、不確実性と恐怖に囲まれています。絶え間ない交通事故、物価の上昇、大気と水質の汚染、そして産業廃棄物によって引き起こされる健康被害があります。振り返ってみると、原子爆弾や水素爆弾、空襲などの戦争の恐怖や、戦時中の困難を思い出すことができます。今日でも世界各地で次から次へと戦争が起きており、平和への道のりは遠く、今日の私たちが生活の恐怖や不安感から解放されることはまだ不可能です。今日、一人ひとりの心はエゴイズムに満ちており、社会を改善しようとする努力をしていません。人間の生命と自然を保護し、人々の幸福と平和を向上させようとする強い願望を持つことが重要です。私たちは他人の苦しみを自分自身の苦しみと考えなければなりません。日蓮宗が戦争反対、戦没者の追悼、空襲や産業公害の犠牲者への支援、核爆弾や核兵器の禁止、平和の維持を主張するのは、この精神からです。
私たちの宗祖の教えは「立正安国(正法を立てて国を安んずる)」に始まり、終わると言われています。それは、個人の幸福と社会の平和の双方の実現、苦しむ人々を救うことによる真実の信仰の確立、そして真実の信仰を確立することによる幸福と平和の普及を意味しています。私たちの宗祖は、災害や戦争に巻き込まれた人々の苦しみ、悲しみ、嘆きを綿密に観察されました。彼の「仏の目」には、歴史的かつ現実的な苦しみが見え、真の仏の救いはこの社会の現実の中になければならないと感じられました。法華経の熱心な信者であった詩人の宮沢賢治は、「世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」と言ってこれを表現しました。「真の信仰を確立することによって国中に平和を広める」という精神は真の乗り物に基づいており、この世が平和でなければ来世の平和はないという教えに根ざしていました。したがって、来世を助けるために、この世に平和をもたらしましょう。私たちの宗祖は、個人だけが救われることを良しとは考えず、社会に生きる人々は社会全体が救われて初めて救われると確信していました。日蓮宗の「正義の確立を通じた世界平和運動」はこの精神に基づいています。同様に、個々のメンバーが個人の救済に満足するのではなく、社会の現実を見つめ、社会に平和と幸福をもたらすよう努力するという主張もこれに基づいています。
修行の第一の手段としてのお題目(唱題)
信仰と修行を強化し、正法(法華経)を広めるためのお題目の唱題
1. お題目の意味
私たちの宗祖の教えに従い、釈尊の法華経を信じ実践する者は、まず第一の修行の手段としてお題目を唱えなければなりません。お題目の唱題は私たちの修行の焦点であり、それゆえに「正行(しょうぎょう)」と呼ばれています。法華経の読誦は、この「正行」の補助的なものであり、正行に触発されて実践されます。したがって、それらは「助行(じょぎょう)」と呼ばれます。
お題目とは「南無妙法蓮華経」を意味します。「南無」とは、帰命(帰依すること)、従うこと、命を懸けて誓うこと、そして敬うことを意味します。法華経は仏の教えの真髄であり、人間の心のようなものです。お題目は、釈尊から、大衆の指導者として大地から出現した上行菩薩を筆頭とする菩薩のグループに伝えられました。仏は、争いが絶えず仏の教えが消え去る末法の時代に、苦しむ人々を救済する義務を彼らに委ねました。
「私は、あらゆる苦しみから皆を救う『世の父』である」と宣言し、釈尊はご自身が悟りを開かれたように、すべての人を悟らせたいと願われました。お題目は、苦しむすべての人が服用できるように、仏が最善を尽くして調合された「良薬」なのです。
私たちの宗祖は次のように仰いました。「『南無妙法蓮華経』は釈尊の教えの真髄であるだけでなく、法華経の心である。単なる経典のタイトルではない。したがって、その文字の一つひとつが仏を表しており、法華経を保つ者は仏を保つのである。信じなさい、法華経の文字を見る者は生きた仏を見るのであると」。
釈尊は私たちの主君であり、師であり、親です。私たちはその子供です。子供たちを哀れみ、救おうとされた釈尊の親としての愛と慈悲が、お題目の形をとり、それを私たちに与えてくださいました。私たちの「親」から受け継がれたお題目を継承し唱えることで、私たちは自らの命を釈尊の永遠の命と同一視することができます。このために、私たちは仏の親の愛を素直に慕い、それを敬い、命を懸けてでもそれにしがみつかなければなりません。このように、お題目は私たちが仏を呼び求め、仏を称賛し、仏への誓いを新たにし、仏への敬意と従順を表すものです。私たちを救いたいと願う仏が発するお題目の声と、救われたいと願う私たちのお題目の声が一つになるとき、私たちは仏と一体になります。これこそがまさに成仏の境地なのです。私たちの宗祖はそれを次のように説明しています:
菩薩の道を歩み、悟りを開いた者として人々を救済へと導いた釈尊が蓄積された功徳は、すべて「妙・法・蓮・華・経」の五文字に納められています。したがって、私たちがこの五文字を保つとき、釈尊の功徳は自動的に私たちに譲り渡され、仏の体は私たちの血肉となり、まさに私たちは仏と一体になるのです。
私たちの宗祖が「南無釈迦牟尼仏」ではなく「南無妙法蓮華経」と唱えた理由は、仏が蓄積したすべての功徳は法華経そのものであると信じたからです。釈尊が長年の修行と実践の後に成仏されたことは、法華経の正しさを具体的な例によって証明するものであり、したがって仏はこの経典に宿っておられると彼は信じました。もちろん、釈尊と法華経は不可分です。したがって、これが私たちの宗祖が「南無妙法蓮華経」と唱えた理由です。
私たちの宗祖は、実際に法華経の文字の中に生きた仏を見出し、仏の心は法華経であると信じておられました。
2. お題目を唱える心
私たちが唱題の修行を行うのは、仏が私たちに与え、首にかけてくださった法華経の宝珠を保つためです。私たちの宗祖は、「法華経を受けることは容易いが、保つことは難しい。したがって、成仏はそれを保つことにある」と仰いました。人間の心は移り気で変わりやすいものです。素直で真っ直ぐな心で、「命を懸けてでも、全身全霊で仏に会いたいと願いながら」お題目を保ち唱えることこそが、仏の道を歩むことなのです。お題目の唱題は祈りです。
法華経を「保つ」ためには、怠ることなく、忍耐強く、絶え間なく、常に新鮮な気持ちでお題目を唱えることが不可欠です。しばらくの間真剣に試みた後で、すぐにお題目を唱えるのをやめてしまってはいけません。私たちの信仰は「火のよう」であってはならず、「水のよう」でなければなりません。困難にひるまず諦めない「獅子王のような」勇敢な心で、法華経を保ち続けなければなりません。
お題目を保つことは信仰の心です。水のない水田に種をまくことができないように、信仰なしに私たちの心に仏の種をまくことはできません。たとえ仏教を深く理解していても、仏の永遠性を信じなければ成仏することはできません。「信仰は成仏の母である」。お題目の唱題は信仰そのものです。お題目(唱題)を実践することは、この信仰を絶えず強化し続けることです。
お題目を唱える際には、仏の判断を信頼しなければなりません。私たちだけで一方的にお題目を唱えるのではなく、私たちが唱えるとき、仏もまたお題目を唱えておられるのです。したがって、それを利己的な欲望を満たす手段とみなし、利益や見返りを得ることを期待して一方的に唱えるべきではありません。しかし、お題目を唱えると、心身が徐々に浄化され、仏が私たちを助けてくださいます。毎日お題目を唱え、全身全霊で仏に会おうと努力するうちに、私たちは心の中で仏と一体になることができるでしょう。
社会的地位、社会的名誉、社会的富、年齢、または性別が異なる人々によって唱えられるお題目に違いはありません。私たちの宗祖が唱えられたお題目は、私たちが心を込めて唱えるお題目と同じです。唱題の功徳は偉大です。一度であっても心からお題目を唱えることが重要です。私たちはこの気持ちを持ってお題目を唱え続けなければなりません。
お題目の唱題は、自他の救済のための菩薩の行い(菩薩行)です。成仏への誠実な祈りとともに唱えられるお題目は、やがて、法華経をより深く広く読み、学び、広めるため、そして仏のいないこの時代に仏国土を実現し、人々に平和と幸福をもたらすよう努力するための祈りを込めて唱えられるお題目となるでしょう。もし私たちが利己的な目的のためにお題目の唱題に耽るなら、私たちは過ちを犯していることになります。
唱題行(しょうだいぎょう)とは、このお題目の精神を心に刻み込み、手、口、そして体でそれを保つことです。したがって、私たちはお題目の唱題に、体、口、そして心を込めなければなりません。
補助的な修行手段としての法華経の読誦
1. お経の読み方
- お経を読む際には、服装を整え、心を落ち着かせ、お経は仏の教えを説き示していること、そして一文字一文字が仏の体、声、そして心を表していることを心に留めなければなりません。
- お経を読む際には、一文字一文字をはっきりと響く声で読まなければなりません。早すぎず遅すぎず、できるだけ静寂さをもって読みます。
- お経は、お腹の底から声を出すようにして読まなければなりません。頭のてっぺんから出ているような声や、無理に出したような声は好ましくありません。仏のような清らかな声でお経を読んでください。
- お経は何度も繰り返すことで暗記することができます。お経を暗記するということは、私たちの言葉を通じて常に仏の心を保つことを意味します。したがって、お経を手に持ち、その文字を通じてその意味を感知しようと努めることが望ましいです。
- 朝と夕方の勤行では、法華経とお題目を唱えます。それに加えて、「運想(うんぞう)」、「御妙判(ごみょうはん:宗祖の御遺文)」、「回向(えこう)」などを読みます。
2. 最もよく読誦されるもの
- 開経偈(かいきょうげ)
- 第2章 方便品(ほうべんぽん)
- 第16章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)の自我偈(じがげ)
- 第21章 如来神力品(にょらいじんりきほん)の神力偈(じんりきげ)
- 欲令衆(よくりょうしゅう)
- 宝塔偈(ほうとうげ)
3. 朝夕の勤行の仕方
毎朝、家族全員でお題目を唱えます。勤行の順序は以下の通りです:
- 合掌して礼拝(仏が姿を現されるよう請い願う=勧請)
- 開経偈
- 方便品(第2章)
- 自我偈(第16章)
- 宗祖の御遺文 または 運想
- お題目の唱題
- 宝塔偈
- 回向
- 四弘誓願
- 礼拝(仏が本国へ戻られるよう請い願う)
- お題目を3回唱える
この順序は、第16章の自我偈とお題目の唱題に省略することもできますし、欲令衆や第21章の神力偈などを追加することもできます。
回向(えこう)について
回向とは、私たちが仏の教えに深く帰依し、それに従って生きるという誓いです。同時に、それはお経やお題目を唱えた功徳を、私たちの先祖を含むすべての魂に回し向ける(与える)ことです。これらの功徳は、やがて仏を通じて私たちに戻ってきます。私たちは、自分自身のために蓄積した良い功徳の結果を保持するのではなく、苦しんでいる他の人々を救うためにそれを利用することを祈ります。
菩提寺(寺院、教会、または結社)の護持と、信仰に基づく日常生活の推進のために
- 私たち日蓮宗檀信徒は、お題目を唱え、修行と学びに励み、人々に「真の信仰」を広めるよう努めます。
- 私たち日蓮宗檀信徒は、仏陀と宗祖の教えが直接私たちに向けられたものであると受け止め、どんな困難に直面しても、社会の平和と人々の幸福のために努力します。
- 私たち日蓮宗檀信徒は、信仰に基づくより良い生活を送るよう努め、寺院、教会、または結社を護持し、法(Dharma)を守る精神を強化するよう努め、日蓮宗の発展のために力を合わせます。
慈悲の生活(布施)を送り、私たちの寺院、教会、または結社を護持するよう努めよう
布施(ふせ)の実践とは、見返りを求めずにあらゆることで他者に奉仕することです。
- 目は心の窓です。 優しい目で人々を見つめることで、他の人々の心を明るく、和らげることができます。
- 和顔施(わがんせ)。 心が幸せなとき、私たちは顔に笑顔を浮かべます。宗祖は「1日に少なくとも1回は両親に微笑みかけるべきだ」と仰いました。
- 人々に奉仕するために懸命に働きましょう。 「ありがたい」という日本語は、存在することが難しいことを意味し、生きていることへの感謝を表しています。
- お金や財産の一部を人々と法(Dharma)のために捧げなければなりません。 単に名前だけの寺院、教会、または結社のメンバーになるべきではありません。代わりに、自分の能力に応じて寄付をしたり、寺院、教会、または結社の成長を促進したりするなど、積極的な役割を果たすべきです。特に、寺院を維持するための精神的および経済的組織である「護持会」を強化するよう努めるべきです。故人の追悼のために、家具や祭壇の装飾品を寄付することも価値があります。
- 信仰を広めることで、できるだけ多くの人々を救うよう努めましょう。
寺院、教会、または結社がお題目の唱題やお経の読誦のための集まり、セミナー(日蓮聖人の著作、仏教、または現在の問題について学ぶため)、または個人的な問題や悩みに関するグループディスカッションなどを開催するときは、できるだけ参加すべきです。身延山にある宗祖の寺院や宗祖の墓(御廟)を訪れるようにしましょう。また、日蓮聖人が訪れた場所に建てられた寺院や、歴史的に重要な寺院も訪れるようにしましょう。『日蓮宗新聞』を読み、日蓮宗内の出来事や教えを正しく知らなければなりません。日蓮宗のメンバーとして、自分自身の寺院の行事だけでなく、日蓮宗の行事にも積極的に参加するようにしましょう。
日蓮宗の縁日には進んで寺院に参詣しよう
——寺院の年中行事には、仏陀や宗祖の誕生日、宗祖の御命日(お会式)、お盆、お彼岸、施餓鬼などがあります——
1. 涅槃会(2月15日): 釈尊は涅槃に入られました。つまり、クシナガラ(ベナレスの北東120マイル)の沙羅双樹の林で入滅されました。涅槃会は仏陀の命日であり、すべての人を永遠に救おうとされた仏陀の教えを護り続けるという私たちの誓いを新たにする日です。仏陀はもはや私たちとともにおられませんが、その教えは生きています。教えは私たちを導き、励ましてくれます。
2. 宗祖降誕会(2月16日): 日蓮聖人は、1222年(貞応元年)、現在の千葉県にある誕生寺の近くの安房国小湊で生まれました。誕生したとき、前庭に泉が湧き出し、蓮の花が咲いたという言い伝えがあります。この日は、宗祖の生涯から学び、その事業を引き継ぐという私たちの誓いを新たにする日です。彼の精力的な力の源は、「釈尊の魂が私の頭に宿っている」という強い自覚と、彼が仏の使いとして重要な義務を負っているという自覚にありました。したがって、力強い仏の使いの誕生を祝うことで、私たちも仏の力強い子供になることができるのです。
3. 彼岸会: 彼岸会は春と秋の彼岸の週に営まれます。これは、お盆とともに、私たちにとって重要な仏教の年中行事です。此岸(この世)を離れて彼岸(仏の浄土)へ向かうということは、この迷いの世界を離れて悟りの世界へ向かうことを意味します。この日は、私たちの日常生活を反省し、仏の道を歩むことを誓い、先祖の供養を営む日です。
4. 仏生会(花まつり、4月8日): 花まつり、または甘茶かけの行事とも呼ばれます。仏陀の誕生を祝う日です。仏陀は今から2千数百年前、ヒマラヤ山脈の麓にあるルンビニーの花園で、インドのカピラ城の王子として摩耶夫人に生まれました。生まれてすぐに天と地を指差し、「天上天下唯我独尊」と言われたと言われています。その瞬間、天から龍が降りてきて甘茶を注ぎました。この伝説から、幼い仏の像(誕生仏)に甘茶をかける風習が生まれました。この王子は成長して釈尊となり、世界中の苦しみ悩む人々を救われました。この日は、私たちが信じる仏教の始まりに感謝を捧げる日です。
5. 立教開宗会(4月28日): 1253年(建長5年)4月28日、32歳の日蓮聖人は清澄山の頂上にある旭が森で、法華経への信仰を宣言されました。太平洋に昇る朝日を拝し、響き渡る声で初めてお題目「南無妙法蓮華経」を唱えられました。この日は、お題目を広め、人々に救いをもたらすために様々な困難を乗り越えた仏の使いである宗祖による、新しい宗教の宣言という記念すべき日です。宗祖の信仰を自分自身のものと決意する日です。宣言の後、宗祖は幕府の首都である鎌倉へ行き、熱心に布教を始められました。
6. 伊豆法難会(5月12日): 幕府の役人は、松葉ヶ谷の法難の翌年である1261年(弘長元年)5月12日に日蓮聖人を捕らえ、由比ヶ浜から出発した船に乗せて伊豆半島へ流罪にしました。日蓮聖人が沖合の岩(俎岩)で死ぬところを救った漁師の弥三郎は、熱心な信者の手本です。宗祖は、この迫害を通じて「法華経を身をもって読んだ(色読)」という確固たる信念を得られました。私たちはこの日、宗祖がこの困難を通じて得られた宗教的満足感と確固たる信念が、私たちの信仰を新たにさせ、私たちの人生を豊かにすることを誓います。
7. 盂蘭盆会(お盆、7月15日、地域によっては8月15日): ほとんどの場合、盂蘭盆会は施餓鬼会(餓鬼の霊のための供養)と一緒に営まれます。盂蘭盆会は、仏の十大弟子の一人である目連尊者が、母親を餓鬼道から救ったことに由来します。「餓鬼」への様々なお供え物、墓参り、そして僧侶による読経を通じて、私たちは先祖の魂が苦しみから救われ、仏の浄土で安らかな生活を楽しめるように祈ります。先祖、両親、兄弟姉妹との関係を改めて考え、私たちが受けた恩に報いるよう努めることは重要です。7月または8月の13日から15日までの間、亡くなった魂のために仮の祭壇(精霊棚)を用意し、迎え火と送り火で魂を迎え、見送ります。この期間中、僧侶は亡くなった魂の安息のために仮の祭壇の前で読経します。私たちは先祖のために追悼の法要を行うべきであり、その功徳によって感謝の念を新たにし、私たちの生活を豊かなものにします。
8. 施餓鬼会: これは、縁のあるなしに関わらず、すべての魂のための供養です。すべての人々に支えられている私たち自身を反省し、布施の功徳を通じて成仏を目指す日です。
9. 松葉ヶ谷法難会(8月27日): 1260年(文応元年)7月16日、38歳のとき、宗祖は『立正安国論』を北条時頼に提出し、鎌倉幕府を諫められました。8月27日の夜、暴徒が鎌倉の松葉ヶ谷にあった日蓮聖人の粗末な草庵を襲撃しました。伝説によると、白い猿の群れが彼を家の裏山に導き、救ったとされています。この日を記念して、私たちは問題に立ち向かい、勇敢に生きることを誓います。
10. 龍ノ口法難会(9月12日): 宗祖が幕府を諫めるために『立正安国論』を提出してからの十数年間、数多くの迫害にもかかわらず、彼は自らの主張を変えることはありませんでした。ついに1271年(文永8年)、49歳のとき、日蓮聖人は幕府に捕らえられ、龍ノ口(現在の藤沢市片瀬、龍口寺が建つ場所)で処刑されそうになりました。奇跡的に日蓮聖人は処刑を免れました。10月には佐渡島へ流され、そこで赦免されるまでの2年半を過ごされました。弟子の日朗も捕らえられ、鎌倉の長谷にある宿谷家の屋敷の土牢に入れられました。日蓮聖人が龍ノ口での出来事について「死んで生まれ変わった」と言われたように、私たちも日常生活を反省し、たとえ命を懸けても物事をやり遂げるという新たな決意を固めるべきです。
11. 佐渡法難会(10月10日): 宗祖は龍ノ口で命を救われた後、佐渡へ流罪となりました。雪と風という厳しい天候の中で苦難に耐えながら、彼は法華経への信仰を強め、上行菩薩の生まれ変わりであるという自覚を再確認されました。私たちは皆これを思い出し、この日に私たち自身の信仰を強めるよう努めるべきです。
12. 御会式(宗祖の御命日、10月13日): 1282年(弘安5年)10月13日の午前8時頃、宗祖は池上宗仲の屋敷で入滅され、波乱に満ちた60年の生涯を閉じられました。私たちは、宗祖が亡くなられた後も、今日も私たちを導いておられると信じています。この日、私たちは彼に心からの感謝を捧げます。同時に、私たち日蓮宗檀信徒は、お題目の唱題と法華経の信仰の促進に努め、宗祖の願いを実現することを誓います。御命日の前夜、東京の池上本門寺では、「万灯」の大規模なパレードを伴う御会式が行われます。日蓮宗のメンバーは、自分の所属する寺院の御会式に参加し、宗祖の遺徳と影響を振り返り、宗祖に心からの感謝を表すよう努めるべきです。
13. 小松原法難会(11月11日): 1264年(文永元年)に伊豆半島の流罪から戻った後、日蓮聖人は安房国(現在の千葉県)の両親を短期間訪ねました。地元の地頭である東条景信が小松原で彼の一行を襲撃し、日蓮聖人の額に刀傷を負わせました。弟子の鏡忍坊と、信徒の工藤吉隆が命を落としました。この事件を思い出すにあたり、私たちはさらに自らを反省し、法(Dharma)を守る決意を固めるべきです。
14. 成道会(12月8日): 人生の苦しみや悩みの解決策を見つけるために出家された仏陀が、様々な苦行の虚しさを経験して知り、数々の誘惑に打ち勝ち、ついに菩提樹の下で座禅を組み、悟り(正しい考え方と行動)を開かれた記念すべき日です。私たちは、仏陀の悟りの教義が書き留められて経典となり、その真髄が法華経であることを認識すべきです。したがって、この日を祝うにあたり、私たちは仏陀と法華経への信仰を守り抜くことを決意すべきです。
家庭における信仰の中心である仏壇を大切にしよう
1. 仏壇のお飾り
- 御本尊は仏壇に安置されなければなりません。菩提寺にお願いして授与していただくことができます。仏壇に宗祖の御像を安置する場合は、御本尊の真下に配置すべきです。また、仏壇に初めて御本尊や日蓮聖人の御像を安置するときは、菩提寺の僧侶を自宅に招き、「開眼(かいげん)」の法要を執り行っていただくべきです。
- 仏壇は、先祖の位牌を置き、供養を行う場所です。先祖の魂が仏と宗祖の教えによって守られ救われることを願う場所であり、仏、宗祖、そして先祖に日々の感謝の気持ちを伝える場所でもあります。
- 先祖の位牌や過去帳は、御本尊と日蓮聖人の御像の前の両側、一段低い位置に置かなければなりません。
- 仏壇へのお給仕:
- 仏壇は常に整理整頓し、清潔に保ちましょう。
- 花瓶、燭台、香炉などは、シンプルなものほど良いです。
- ろうそくに火を灯し、お線香を焚いて光と香りを供えましょう。
- 色とりどりの花、あるいは葉(しきみ等)だけの場合も、常に新鮮で生き生きとしたものでなければなりません。
- 家族が食事をとる前に、炊き上がったご飯とお茶またはお水を供えるべきです。果物やお菓子を供えてもかまいません。
2. お飾りとお給仕
仏壇のお飾りとお給仕は、毎日欠かさず行わなければなりません。仏、宗祖、そして先祖は、生きているかのように扱わなければなりません。命のない物体として扱ってはいけません。
3. 仏壇の前に座る
仏壇の前に座り、合掌して礼拝し、お題目や法華経を唱えます。
- 仏と宗祖の教えに従って生きることを誓います。
- 先祖に心からの感謝の意を表します。
- 明るく幸せな家庭を築き、健康で、懸命に働くことを誓います。
- 今日も無事に一日を過ごせるように祈ります。
- 今日も無事に一日を過ごせたことを先祖に報告し、そのことに感謝します。
4. 誕生日と節目のお祝い
仏壇の前で誕生日のお祝いや入学・卒業などの報告をし、菩提寺や先祖にも報告しましょう。宗祖は子供の誕生に大きな喜びを表されました。心から子供たちを祝福し、「春の野に咲く花」に例えられました。「法華経を信じる親の子供は、法華経の種を受け継ぐ」と仰いました。彼にとって、子供の誕生と成長の喜びは、信仰の種まきと育成であったため、祝われるべきものでした。
菩提寺(教会・結社)を護持し維持する務め
1. 法要(またはお墓参り)を怠らないようにしましょう。
法要やお墓参りは、両親、祖父母、先祖に対する感謝の表現です。同時に、私たちが幸せになることを願ってくれた先祖の思いやりに感謝し、幸せな人生を送ることを誓います。法要では、現世だけでなく、過去から未来へと続き、肉体が朽ちても消えることのない永遠の命に生きることを願い、祈ります。亡くなった人々は、私たちの心と体の一部として生き続けます。日蓮聖人が「私の頭は両親の頭である」と仰ったように。法要の意義は、私たちが良い人生を送っていることを先祖に報告することにあり、祈りの中での死者と生者のコミュニケーションにあります。
忌日法要は初七日から四十九日まで、七日ごとに営まれます。また、百カ日も営まれます。これら以外に、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、(二十五回忌)、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌(四十三回忌、四十七回忌)、そして五十回忌を営みます。(一周忌以外の年忌法要を数えるときは、亡くなった年を1年と数えるため、三回忌は死後2年目に営まれ、七回忌は6年目に営まれ、死後49年目に五十回忌が営まれるまでそのように続きます)。
上で述べたように、日蓮聖人の弟子たちは師の命日(法要)を営むために身延山をよく訪れましたし、私たちの宗祖自身も信者たちの墓を訪れました。私たちの宗祖の遺言には「私の墓は身延山に建ててほしい」とあります。このことから、墓が重要であることがわかります。そこは人の魂が安らぐ場所であり、仏国土に囲まれています。お盆や春・秋の彼岸の時期に家族の墓参りをすることは特に重要です。また、できるだけ頻繁に家族の墓を訪れるべきです。
亡くなった魂の安息のために、去った魂の木の象徴である塔婆(とうば)が立てられます。同時に、塔婆を立てる功徳が、私たち全員がより良い仏教徒になる助けとなることを願います。
2. 葬儀は丁重に執り行われなければなりません。
葬儀は、故人を仏国土の仏の元へ送り出す儀式です。僧侶を招いてお題目と法華経を唱えていただき、仏国土へ到達するための導きとして故人に最後の言葉(引導)をかけていただかなければなりません。葬儀は厳粛かつ丁重に執り行われなければなりません。
人の死は、人間の人生の集大成です。同時に、故人はこれから仏を訪問するのですから、生前と同じように丁重に扱うことを忘れてはなりません。宗祖は、故人は後に残された人々を訪問し、見守っていると言われました。故人には、僧侶から授けられた新しい戒名が与えられなければなりません。それは、故人が仏と日蓮聖人の熱心な信者のままでいるためです。戒名は、その人の信仰の強さに応じた徳を表しています。宗祖の信者の何人かがそうしたように、私たちが生きている間に戒名を授かることは望ましいことです。戒名は法華経に対する信仰の強さと堅固さを表すものであるため、まず第一に私たちが確固たる信仰を持つことが重要です。
日蓮の誕生 -- 出家
日蓮聖人は、1222年(貞応元年)2月16日、千葉県小湊(現在の誕生寺の近く)で生まれました。およそ750年前のことです。日蓮宗は、宗祖への感謝を示すために、生誕750年を盛大に祝いました。日蓮聖人はご自身について、「私は安房国東条の郷、海辺の片隅に住む漁師の子である」と仰っています。太平洋の波が打ち寄せる場所で、漁師の息子として育ちました。彼はまた、自らが「せんだら(賎民)」の家系に生まれたとも言われました。(ここでの「せんだら」は、インドの四姓制度の最下層であるシュードラを指します)。このように、漁師の息子として生まれた日蓮聖人は、誇りを持って自らを「民衆の子」と呼ばれました。
それは、庶民と共にあり、庶民を救いたいという彼の願いを表していました。この願いが、彼が庶民の中から現れ、法華経を広めた上行菩薩の生まれ変わりであるという自覚へと彼を導きました。日蓮聖人がこれを宣言されたとき、それは人々が社会的地位によって他人を差別していた時代であったことを理解する必要があります。他のほとんどの宗派の開祖は皆、貴族や武士の出身であり、京都のような文化の中心地で生まれました。対照的に、日蓮聖人は東国の辺鄙な田舎で生まれました。彼は女性的な貴族文化よりも、武士や庶民の力強い文化を好みました。彼は庶民の心を持っていたので、庶民の言葉である「田舎言葉」で話しました。また、日蓮聖人が貴族社会から武家・庶民社会への大きな変化の時代を生きていたからでもあります。
善日麿(ぜんにちまろ)と名付けられた彼は、健康で丈夫に育ちました。善日麿は11歳で近くの清澄寺に入り、道善房の下で学びました。15歳で出家し、是生房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)という名の正式な僧侶になりました。若き日蓮聖人は、両親を救うために成仏を誓いました。彼は「釈尊の説いた仏教は一つであるのに、なぜ八宗や十宗もの宗派があるのだろうか」と疑問を持ち始めました。この疑問を解決するため、彼は清澄寺に安置されている虚空蔵菩薩に祈り、「どうか私を日本一の智者にしてください」と懇願しました。彼は「明けの明星のような大きさの智慧の宝珠」を与えられました。ここでの「智者」とは、知識が豊富な人という意味ではなく、仏の智慧を持った人を意味します。
これに励まされ、日蓮聖人は17歳頃に清澄寺を去り、日本の政治の中心地である鎌倉へ向かいました。さらに、真の仏教とは何かを発見するために、日本の文化の中心地である京都の園城寺、高野山(真言宗の総本山)、大阪の四天王寺、そして最後に当時の仏教研究の最高中心地であった比叡山へと赴きました。
法華経は仏の真の精神である
新しい仏教宗派設立の宣言(立教開宗)
ついに31歳にして、日蓮聖人は法華経こそが仏の真の教えであるという結論に達しました。日蓮聖人は、たとえ命を懸けても、この汚れ、乱れた世界に法華経を広め、説くことによって、釈尊の遺志を実行することが自分の義務であると確信しました。法華経は、聖徳太子や最澄(伝教大師)の時代から日本に伝えられ、仏教徒によって最も重要な経典と見なされてきました。しかし、日蓮聖人以外の全員は、法華経を難解で学問的な方法で解釈していました。法華経は重要であるが、阿弥陀仏への帰依も同様に重要であると述べ、彼らは「朝にお題目を唱え、夕べに念仏(南無阿弥陀仏)を唱える」ことを行いました。他の人々は、法華経は最高の経典ではない、あるいは難しすぎるため念仏の方が良い、あるいはそれは単に月(悟り)を指し示す指にすぎないと言って、法華経を誹謗しました。
法華経のそのような誤った解釈を正し、この乱れた社会で人々を救うために釈尊の教えに従ってそれを広めることを決意したのは日蓮聖人です。いわゆる日蓮の「四箇の格言」(念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊という他宗派への批判)は、この確信から始まりました。仏教の誤った解釈が蔓延していた時代に彼がその確信を実行したならば、日蓮聖人だけでなく、両親、兄弟姉妹、そして彼の師でさえも迫害を受けたのは当然のことでした。日蓮聖人は時としてどうすればよいか分からず、壁に追い詰められているように感じました。しかし、彼を動かしたのは仏の戒めでした。仏の戒めは、人ではなく法(Dharma)に頼るべきこと、そして最終的な権威の源は、不完全な他の経典ではなく、仏の教えが完璧に説かれている法華経にあると述べています。
こうして彼は、仏の教えを信じ、法華経を広めることに全身全霊を注ぐ決意をしました。たとえそれが死を意味するとしても、釈尊の戒めに反して来世で地獄に落ちるよりはましだと彼は結論づけました。恩人を救うために仏教を学び成仏することを誓っていた日蓮聖人の当初の決意は、この重大な局面で法華経を広めることを宣言する決断を助けました。
日蓮聖人は清澄寺に戻り、1253年(建長5年)4月28日、持仏堂の南側に集まった浄顕房ら少数の聴衆に対し、法華経信仰の正しさを力強く宣言しました。それはまさに法華経の宣言であり、法華経に説かれている釈尊の真の精神を受け継ぐ新しい日蓮宗の設立の宣言でした。日蓮聖人が当時、少数の人々にしか説法しなかったことは注目に値します。最初は日蓮聖人一人だけがお題目を唱えていましたが、次第に人々が二人、三人と彼に加わっていったと彼は語っています。彼の最初の一歩は、自らの孤独を克服するために、厳格な獅子王の心から始まりました。彼は「日蓮の門下は心を一つにしているのだから、人数が少なくとも法華経を広めるという大事業を成し遂げるであろう」と固く確信していました。日蓮の心の奥底には、苦しむ人々を救おうとする智慧と慈悲が根付いていました。真理は少数から始まり、やConfiguringやがて明らかになります。そのような困難な始まりは、すぐに明白なものとなりました。
東条景信や阿弥陀仏を信じる他の人々は、日蓮聖人を清澄山から追い出しました。これは、法華経を信じる者は迫害される可能性があると説く法華経の、日蓮自身の個人的な体験でした。彼にとって、それは法華経の正しさの証明でした。
新しい宗派を設立する宣言を発したのと同じ頃、彼は自らの名を蓮長から日蓮に改めました。彼が語ったように、「日蓮という名は、私の仏の教えに対する理解を表している。『日』は、太陽と月が闇を排除するように、末法の世に法華経を広める上行菩薩がこの汚れた世界から闇を排除するという仏の働きから取られた。『蓮』もまた、蓮の花が汚れることなく泥沼に咲くように、上行菩薩が法華経を広めたという仏の言葉から取られた。『太陽のように明るく、蓮の花のように純粋であること』が日蓮の理想であり、それを自らの名前に取り入れたのである。
立正安国(正法を立てて国を安んずる)
その間、日蓮聖人は鎌倉へ行き、活動の拠点として松葉ヶ谷に草庵を構え、法華経を説き始めました。彼は天台大師(智顗)に敬意を払うために「大師講」のグループを集め、法華経に基づく仏道修行を説いた著書『摩訶止観』を教えました。それは日蓮聖人とその弟子や信者との間の宗教的な集まりでした。これに加えて、彼は外に出て鎌倉の街角で法華経を説き、他の仏教宗派を批判しました(辻説法)。
数年後、1257年から1259年にかけて、度重なる暴風雨、地震、飢饉、疫病が発生しました。多くの人々が飢えで亡くなり、その白骨は路上に放置されました。多数の盗賊が現れ、殺人が絶えませんでした。巨大な彗星が凶兆として人々を怯えさせ、社会全体に恐怖を増大させました。
36歳の日蓮聖人は、社会的危機と人々の苦難をもたらしたこれらの災害を観察し、静岡県にある岩本実相寺へ赴き、災害の原因と対処法を見つけるために様々な仏教経典を読みました。3年後の1260年(文応元年)5月26日に『立正安国論』を完成させ、同年7月16日に前執権の北条時頼に提出しました。
『立正安国論』は力強い漢文体で書かれており、九つの問答から構成されています。それは、客が度重なる災害でいかに多くの人が苦しみ死んだかを述べ、なぜそれらの災害が終わらないのかと疑問に思うところから始まります。主人は彼に同意し、「それは人々が正法に背いたために、守護神がこの国を去ったからである。彼らは誤った教え、特に釈尊を捨て、この世での救済を諦め、来世を祈る法然上人の念仏の教えを信じている」と質問に答えました。主人はさらに「誤った宗教を信じるすべての人が心を改め、真実の教えである法華経に帰依すれば、この世界全体が災害のない仏国土になるだろう」と続けました。客はその説明に感銘を受け、世界の平和と幸福のために努力することを約束しました。
これは、仏教の指導精神である法華経への信仰を確立することによって、仏国土を創造することが可能であることを意味しています。また、国に平和を広めようとする試み自体が、法華信仰の発展と確立であることも意味しています。当時の仏教界は社会の危機を明確に認識しておらず、幕府の要請に応じて祈祷や呪術で危機を排除しようとしただけでした。自らの救済を見つけるだけで満足する者もいました。そのような社会に生きながら、社会の平和と個人の心の平安を手に入れようとし、当時の政府当局に警告を発することを決してやめなかった日蓮聖人を見出すことは、本当に驚くべきことです。彼は「仏の目」で社会と人々の現実を見つめ、そこに真の仏教を確立しようとしました。これを行おうとしたのは日蓮聖人だけであり、彼の前にも後にも誰もいません。
『立正安国論』についてのもう一つの重要な点は、自然災害だけでなく、国内外からの戦争が国を襲うという彼の予測でした。日蓮聖人は、末法の世には「正法が消え、戦争が始まる」という仏陀の言葉に従ってこれを予測しました。北条時輔の内部反乱(二月騒動)が起き、モンゴル(元)の日本侵攻が国家的危機を引き起こしたことで、彼の予測は現実のものとなりました。
日蓮聖人は、仏の救いは個人の救済で終わるものではなく、社会全体とその社会に生きるすべての人が成仏することによって、個人の救済が得られるべきであると主張しました。彼によれば、私たちが住むこの世界が平和で安全にならない限り、私たちの来世が良くなることはありません。これは「正法を確立することによって国中に平和を広める(立正安国)」ことを実践することによってのみ達成できるのです。
法難を耐え忍ぶことは究極の法華経の読み方である(色読)
法華経を実践する
1260年(文応元年)8月27日の夜、日蓮聖人が『立正安国論』を提出してから40日後、事実上の支配者であった北条重時の同意を得た阿弥陀仏の信者たちが、松葉ヶ谷にある日蓮の草庵を襲撃して火を放ち、彼を殺害しようとしました(松葉ヶ谷の法難)。日蓮聖人は間一髪で死を免れました。彼は下総国(千葉県)の富木家の元へ行き、そこに滞在しました。そこで半年間説法し、曾谷教信や太田乗明といった地元の武士を改宗させました。
松葉ヶ谷の草庵が焼かれたことは彼の信念を弱めることはなく、むしろそれによって信念は強化されました。「末法の世には必ず法華経の行者が現れる。彼の強い信仰は大きな迫害に遭うことを喜ぶであろう。もし大きな迫害がなければ、彼は法華経の行者ではない」と語り、彼はその焼き討ちを、自分が体で法華経を読んだ(色読)証拠として喜んで受け入れました。日蓮聖人が鎌倉に戻ったとき、鎌倉幕府は彼を許しませんでした。松葉ヶ谷の草庵を焼いて日蓮聖人を殺すことに失敗した北条重時とその息子長時は、理不尽にも日蓮聖人を伊豆半島へ流罪にしました(伊豆法難)。
それは1261年(弘長元年)5月12日のことでした。彼は伊豆で瞑想し、法華経を広めるための5つの条件(教機時国抄)をまとめました。彼は自分の体で法華経を「読んだ」ことでより一層幸せを感じました。彼は法華経を広めたために流罪になったのです。彼にとって、それは起きている時も寝ている時も、歩いている時も立ち止まっている時も、24時間常に法華経を読み、実践していることを意味していました。人間にとってこれ以上の幸せがあるでしょうか? 彼は「法華経の中で仏陀が、それを広める者には様々な迫害が降りかかると言われたので、私の幸福は言葉では言い表せない」と書きました。日蓮聖人は続けて、彼を罰した国の主君も、彼を誹謗した人々も、彼が体で法華経を「読む」原因を作ったのだから、事実上彼の恩人であると述べました。しかし彼はまた、「私を流罪にした人々のことを思うと、法華経の行者を誹謗した罰を受けて皆地獄に落ちるであろうから、彼らを可哀想に思わずにはいられない。多くの人にこのような重罪を犯させてしまうような国に生まれたことが本当に残念だ」とも感じました。彼が持っていたなんと深い宗教的感情でしょうか!
伊豆に21ヶ月間滞在している間、日蓮聖人は、流罪直後に彼を助けてくれた漁師の弥三郎とその妻を改宗させました。彼は、「私の両親が伊豆の川奈という場所に生まれ変わったのだろうか、それとも釈尊が私を助けるためにそこに生まれ変わられたのだろうか」と語り、彼らに感謝の意を表しました。さらに、地頭の伊東朝隆が「少しの信仰」を示したため、日蓮聖人は朝隆の病気を治すように法華経と諸天善神に祈りました。日蓮聖人は、この機会に朝隆が贈った釈迦牟尼仏の立像を生涯大切に持ち続けられました。
日蓮聖人は流罪から解放されると、妥協することなく支配者を諫め、平和と正義の運動を進めました。暗殺未遂と流罪という二つの大弾圧を受けた後、平和と正義を主張し続ければ自分の死が迫っていると感じました。そのため、1264年(文永元年)8月に再び故郷の安房国を訪れることを決意しました。
長い不在の後、彼は愛する母と自分を育ててくれた師匠に会いましたが、法華経の行者として、故郷もまた苦しみと間違いに満ちていると感じました。彼の母は病の床にありました。日蓮聖人は法華経を唱え、母の回復を祈りました。彼女は回復し、その後4年間生きました。彼の師匠である道善房は、阿弥陀仏の像を5体作ったと彼に言いました。日蓮聖人は師匠に「釈尊は私たちの父親ですが、阿弥陀仏は私たちの叔父です。父親の像を一つも彫らずに叔父の像を5体も彫るのは、親不孝以外の何物でもありません」と忠告しました。師匠に対する彼の態度は、人に害を与える優しい言葉でさえも嘘であり、人を助ける厳しい言葉は真実の言葉であるという彼の信念に基づいていました。この出来事の後、彼の師匠は法華経を受け入れ、釈尊の像を彫ったと言われています。それは日蓮の強い忠告によるものでした。
日蓮が花房の蓮華寺で説法をしていたとき、1264年(文永元年)11月11日、東条景信と阿弥陀仏の信者たちが小松原で日蓮聖人を待ち伏せし、殺害しようとしました(小松原の法難)。矢は雨のように降り注ぎ、刀は稲妻のように閃きました。弟子の鏡忍坊は殺され、他の2人は重傷を負いました。日蓮聖人も負傷しましたが、逃げ延びました。彼を救出に駆けつけた工藤吉隆も殺害されました。このようにして日蓮聖人は法華経のために刀や棒で迫害されました。彼は勇敢に宣言しました。「私、日蓮だけが(体で)法華経を読んだ。これはまさに法華経の言葉『私は自分の命を愛さない。私は最高の道だけを愛する!』を実践することである。したがって日蓮は日本における法華経の第一の行者である」。
小松原の法難から3年後の1268年(文永5年)1月18日、中央アジア、東ヨーロッパ、韓国を征服したモンゴル(元)の皇帝から手紙が届きました。日本は前例のない国家的危機に直面しました。日蓮聖人が『立正安国論』で行った、内部の騒乱と外部からの侵略が起こるという予測が現実のものとなりました。日蓮聖人は幕府に手紙を書き、平和と正義に関する論文を書いた理由を思い出させました。彼は再び幕府を諫め、モンゴルの征服を祈るのをやめ、法華経に帰依するように忠告しました。彼はさらに、幕府政府の高官や重要な仏教指導者に11通の書状(十一通御書)を送り、誤った信仰が外国の脅威の原因であり、正しい信仰が広められなければならないと宣言して、公の場での討論(公場対決)を求めました。
これに対して、舞台裏での策動がありました。第一の律宗の指導者として知られていた極楽寺の良観(忍性)が、日蓮聖人とその弟子たちを殺害、流罪、または投獄する目的で、幕府の高官や仏教指導者の間で工作を行いました。雨乞いの祈祷で敗北し、権力者への公の請願で目的を達成できなかった良観とその友人たちは、日蓮聖人に反対して舞台裏で働きました。彼らは法華経第13章(勧持品)に言及されている「三類の強敵」でした。
9月10日、日蓮聖人は平頼綱(平左衛門尉)と会見しました。自らの予測が現実のものとなった事実を指摘し、他の仏教宗派との公場対決の手配と、宗教に対する公式な態度の再考を要請しました。幕府は日蓮聖人に耳を傾けず、それどころか激怒し、平左衛門尉自らが兵を率いて日蓮聖人を逮捕しました。日蓮は吠えるようにこの逮捕について言いました。「皆の者、おお、なんと面白いことか! あの狂人の平左衛門尉を見よ。彼は今、日本の柱を切り倒そうとしている」。逮捕した役人の一人である少輔房は、日蓮聖人が手にしていた法華経の第五巻を奪い取り、それで彼の顔を殴りました。「日蓮は思いがけず幸せを感じた。第20章(常不軽菩薩品)と第13章(勧持品)に記されている通りに拷問を受けていると感じたからだ」。彼は法華経の仏の予言が現実のものになったと感じ、「法華経のために命を捧げることができるとは、私はなんと幸運なのだろう!」と宣言したとき、彼の幸福感はさらに強まりました。
白昼堂々、日蓮聖人は馬に乗せられ、鎌倉の町を通って龍ノ口へと連行されました。表向きは佐渡島へ送られることになっていましたが、現実には幕府の役人たちは「ただ法華経を広めたという大罪」以外の理由なしに彼を斬首するつもりでした。鶴岡八幡宮の前で、日蓮聖人は神を叱りつけ、こう言いました。「大菩薩八幡よ! あなたは本当に神なのか? あなたは法華経を守ると仏に誓ったはずだ。なぜ私を守らないのか? 私の目を恐れるなら、仏への誓いを実行するがいい」。彼は四条金吾を呼び、「私は今夜斬首されるだろう。これは私がここ数年望んでいたことだ」と言いました。金吾が「今、殺されてしまいます!」と泣き叫ぶと、日蓮聖人は「なんて思慮が足りないのだ。こんなおめでたい時には笑うべきだ」とたしなめました。それは日蓮聖人の法華経に対する揺るぎない信仰であり、そのために彼は命を捨てることを厭わず、記憶されたいと願っていました。彼は法華経のために命を犠牲にすることについて「私は喜びで胸がいっぱいだ」と言いました。日蓮聖人の強い信仰により、「江の島の方向から月のように丸い火の玉が飛んできて、兵士たちを地面に倒れさせる」という奇跡が起こりました。その結果、彼らは日蓮聖人を処刑することができませんでした。
四つの大難の最大のものと言える龍ノ口での処刑未遂の後、日蓮聖人は過去の罪への懺悔と、必要ならば命を捧げる決意を次のように表現しました。「法華経の行者である日蓮は、龍ノ口で処刑された。相模国の龍ノ口こそ、私が命を捧げた場所である。法華経のためにそこで命を捧げたのだから、そこは仏国土に他ならない」と。また、「私がこれら大きな災難を受けたのは、この国の神聖冒涜を激しく非難したからである。それは今生で法(Dharma)を守ることによって、私の過去世の大きな罪を償うためであるに違いない」とも述べています。
日蓮聖人の弟子や信者たちも迫害され、ほぼ全滅させられました。他の宗派に改宗する者もいれば、「日蓮聖人は私たちの師匠ですが、あまりにも率直すぎます」と言って、より穏やかな説得手段を主張する者もいました。弟子や信者の「1000人のうち999人」が彼のもとを去りましたが、弾圧や投獄にもかかわらず法華経への信仰に固執する弟子も何人かいました。日蓮聖人はそのような弟子たちを励まし、彼らが口だけでなく、心と体で法華経を「読んだ」のだと言われました。
龍ノ口から約1か月後、日蓮聖人は依智(現在の神奈川県厚木市)の本間重連の預かりとなりました。10月10日に依智を出発し、佐渡に流罪となりました。10月21日に越後国(新潟県)の寺泊に到着し、順風を待って10月28日に佐渡島に到着しました。日蓮は、法華経の行者には「下劣で卑劣な言葉」や「刀、杖、石」が降りかかると法華経に予言されている通りに、心と体で法華経を「読んでいる」ことに気づき、佐渡で大きな幸福を感じました。同時に、日蓮聖人は投獄された弟子たちのことを思っていました。
我、日本の柱とならん
佐渡での日蓮聖人
佐渡島の塚原は、死体が捨てられる場所でした。冬の風は厳しく冷たく、雪は深く、その一方で衣服は十分に暖かくなく、食べるものもあまりありませんでした。日蓮聖人の避難所は、ススキ(茅葺き屋根の材料)の野原の真ん中に立つ三間(約六畳)四方の小屋でした。壁は崩れ落ち、まるで外にいて雨風をしのぐものがないかのように雨が降り注ぎ、床には敷物一枚ありませんでした。朝目覚めると一面雪に覆われ、昼も夜も風の音しか聞こえませんでした。人々は、佐渡は生きて帰ることのない流人の島だと言っていました。彼を訪れる者はなく、日差しもほとんどありませんでした。日蓮聖人は法華経を握りしめ、一人で「南無妙法蓮華経」を唱え、夜には他宗の誤りを指摘し、月や星に向かって説法をしました。
法華経を広めようとしていた日蓮聖人に降りかかった迫害の過酷さが想像できます。しかし、彼は「流罪は今生における小さな苦しみであるから、私はそれを後悔しない。それは来世における大きな喜びを約束してくれるから、私はとても幸せに感じる」と言って、宗教的な幸福を体験しました。このように、揺るぎない法華経の行者は全く落胆しませんでした。彼は、挑戦してきた阿弥陀仏の信者たちを公の討論で打ち破り、彼らを法華経に改宗させました。彼は本間重連に鎌倉での内部反乱の到来を予言しました。この予言は現実のものとなり、重連を驚かせました。重連は「二度と『南無阿弥陀仏』とは言わない」と誓い、彼の助けを求めました。佐渡島にいた日蓮聖人は、鎌倉のことを思い、苦しむ人々に同情し、「京都と鎌倉の戦死者の名簿を作って私に送ってください」と頼みました。
佐渡島に流罪になっていた時、日蓮聖人は1272年(文永9年)2月に、危機の時代における弟子や信者のための指針となることを意図して、上下二巻の『開目抄』を執筆されました。彼は、法華経への信仰のすべてと、末法の世における人々の指導者であるという自覚をこの著作に注ぎ込みました。「日蓮の生涯の意味を後世に残す」意図で書かれた『開目抄』は、宗祖が「人生で最も重要なこと」を何と考えていたかを明らかにしました。揺れ動く信者たちからの疑問に応えて、日蓮聖人はこの論文の中で、過去20年間にどのように法華経を広めたか、彼が受けた迫害の意味は何であったか、そして上行菩薩の後継者としての彼の義務と誓いは何であったかを力強く説明しました。彼はその中で次のように宣言しました:
日蓮は(龍ノ口で)首を刎ねられ、今日の日蓮は新しい日蓮である。法華経第13章(勧持品)の偈(がーた)は、仏の予言であり、末法の世における現在の日本の状態を予言した水晶のように澄み切った鏡である。
『開目抄』の中で、日蓮聖人は、「自分は本当に法華経の行者なのだろうか? もしそうなら、なぜ諸天善神の加護を受けられなかったのだろうか?」という自問に答えています。彼は、(1)人間の究極の救済は仏教、特に法華経にあること、(2)法華経の最も重要な二つの教えは「誰もが成仏できる」ことと「仏は常に永遠にここにいて、私たちが成仏するのを助けようとされている」こと、(3)法華経の教えは末法の世に明らかになること、(4)その普及の責任は上行菩薩にあること、などの点を挙げました。彼がこれほど多くの迫害に遭った理由は、誤った信仰がさまざまな守護神を国から追い出してしまったからだ、と彼は述べました。日蓮聖人は、仏が予言された、さまざまな迫害に遭遇する法華経の行者に、自分自身が完全に一致していると感じました。こうして彼は、私たちの主君であり、師であり、親である釈尊の教えを個人的に体験している日蓮こそが、末法の世の人々の主君であり、師であり、親、すなわち法華経の行者でなければならないという結論に達しました。彼は力強く宣言しました:
これらすべての後、たとえ諸天善神が私を見捨てようとも、たとえ私に様々な困難が降りかかろうとも、私は喜んで命を懸ける。... いずれにせよ、法華経を捨てることは地獄に落ちる原因となる。私は誓いを立てた。たとえ誰かが、私が法華経を捨てて来世の救済を阿弥陀経に頼るという条件で、私を日本の統治者にすると言ったとしても、たとえ誰かが、私が「南無阿弥陀仏」と言わなければ私の両親を処刑すると脅したとしても、そしてどれほど多くの大きな困難が私に降りかかろうとも、智者が道理によって私を打ち負かさない限り、私はそれらに屈することはない。その他の困難は風に舞う塵のようなものである。私は日本の柱となり、日本の眼となり、日本の大船となるという誓いを決して破ることはない。
困難が日蓮聖人に降りかかれば降りかかるほど、彼は幸福でした。なぜなら、それらが法華経の正しさを証明したからです。彼にとって、それらはまた過去世の神聖冒涜行為の悪いカルマを取り消し、来世での大きな幸福を約束するものでした。日蓮は、すべての人の苦しみを自分自身の苦しみと感じていました。
日蓮聖人を包み込んだ幸福は、彼が上記の三大誓願(日本の柱、眼、大船)で表現した平和な心の世界でした。『開目抄』が法華経の行者としての日蓮の心境を表したものであるのに対し、1273年(文永10年)4月25日に佐渡の市ノ沢で書き終えた『観心本尊抄』は、彼の信仰の告白を明らかにしたものでした。日蓮は『観心本尊抄』を書くことを「彼の人生の最高点」と考えていました。彼はその中で、釈尊の死から二千年後、末法の世の始まりにおいて人間を真に救うべき礼拝の対象(御本尊)を明らかにしました。
日蓮聖人はこの著作の中で、釈尊が仏になる前に蓄積されたすべての功徳と、仏であることの功徳がすべでお題目の中に込められており、このお題目を保つ私たちは仏と一体となり、仏ご自身のような永遠の命を得るであろうと説いています。「一念三千」の神学を知らない人々のために、仏は大いなる慈悲をもってこの宝珠をお題目の中に包み、末法の世の純真な人々の首にかけられたのです、と彼は書いています。このように日蓮聖人は、十方の諸仏、大地から出現した上行菩薩をはじめとする菩薩、そして諸天善神とともに、永遠の浄土に住し、末法の世の人々を常に導いておられる永遠の仏(久遠実成の仏)を御本尊として明らかにされました。私たちが「南無妙法蓮華経」と唱えるとき、私たちは第16章(如来寿量品)の永遠の仏を表す御本尊の光に包まれ、私たちの命が仏の命と同一化される曼荼羅の世界に入ることになります。
『観心本尊抄』を完成させた3か月後の1273年(文永10年)7月8日、日蓮聖人はその中で説いた神学を描いた図を制作しました。これが彼が初めて佐渡でグラフィック表現として明らかにした曼荼羅御本尊(大曼荼羅)です。このように日蓮聖人は、困難の中に生きながらも、佐渡で生涯最も重要な神学を明らかにされました。同時に彼は、阿仏房とその妻千日尼から受けた援助に対して、「あなたは佐渡に生まれ変わった私の愛する母の生まれ変わりではないだろうか」と言って感謝の意を表しました。この夫婦の奉仕に対する彼の感謝の念は、彼が赦免されて1274年(文永11年)3月13日に佐渡を出発したとき、「佐渡での生活は困難であったが、後ろ髪を引かれる思いがし、足取りは前に進むどころか後ろに下がっていくように感じた」と書いたほどでした。
日蓮聖人は1274年(文永11年)3月26日に鎌倉に到着しました。4月8日、平頼綱(平左衛門尉)と会い、頼綱から「大モンゴル帝国はいつ我々を攻撃してくるか」と尋ねられました。日蓮聖人は「間違いなく今年中である」と答えました。彼は禅宗や阿弥陀仏(浄土宗)だけでなく、真言宗の禁止も主張し、「真言を信じてはならない。もしそうすれば、国を滅ぼすことになるだろう」と言いました。これは日蓮聖人による3回目の政府批判であり、彼は「私には三度の誉れ(三度の国諫)がある」と言いました。「王の領土に生まれた者は、体は支配者に従うことを強制されるかもしれないが、心までは従わない」と書いているように、同じように日蓮聖人は、小さな島国の主の脅しに決して屈することはありませんでした。それは法華経への信仰の精神的な勝利でした。
幕府の役人たちは日蓮聖人に愛染堂の管理職(別当)の地位を提示して懐柔しようとしましたが、日蓮聖人はそれを断りました。「国を三度諫めても聞き入れられなければ、山林に退くべきである」という古いいわれ(故事)に倣い、また今後一万年にわたって法華経を広めるための確固たる基盤を確立する目的で、彼は甲斐国(山梨県)の身延山へと出発しました。
法華経の行者
身延山での日蓮聖人
1274年(文永11年)5月17日、日蓮聖人は身延山に入山されました。そこで彼は弟子たちの教育、信者への説法、そして法華経を広め、正義を通じて平和を実現する目的で法華経の信仰生活を送る方法についての指導に尽力されました。
日蓮聖人が最後の住居を建てた身延山は、彼の信者であった波木井実長の領地にありました。そこは東に天子ヶ岳、南に鷹取山、西に七面山、北に身延山という四つの険しい山に囲まれており、それらが四つの壁のようにそびえ立っています。そこは青々とした草に覆われ、谷には大きな石が積み重なり、誰も住んでおらず、訪れる人もいませんでした。夏には春の花が咲き、冬には秋の実が熟しました。山では常に雨が降り、雪は深く、冬は身を切るように寒く、夏は焼けるように暑い場所でした。4年の間に仮小屋の柱は腐り、壁は崩れ落ちました。日蓮は「夜は灯りがなくても輝く月の下で聖典を読むことができ、風が吹き返すのでお経を巻き戻す必要がない」と語っています。極寒に加えて、彼は「食糧不足のため常に飢餓状態」にありました。日蓮聖人はその困難を、「この飢饉の時期に私が住み始めた、山の中の木の下に葉を敷き詰めたような小屋を想像してみてください」と表現しています。
1281年(弘安4年)11月24日、「世界で最初の法華経の寺院(久遠寺)」が建てられました。落慶法要には多くの人々が集まり、天台大師の祈りの集い(天台大師講)が催されました。信者たちは時折、日蓮聖人に様々な贈り物を送りました。綿入れの絹の着物の贈り物が届いたとき、彼は次のように感謝の意を表しました。「私が薄い綿の入った粗末な服しか持っておらず、体が石のように冷え切っていたのをご存じですか?先日あなたが寛大に贈ってくださったこの綿入れの絹の着物を受け取っていなければ、私は寒さで死んでいたでしょう」。その他の贈り物には、米、麦、塩、味噌、芋、餅、酒などがありました。日蓮聖人はこれらの贈り物を法華経の祭壇に供えました。彼は涙を流し、信者たちからの贈り物に感謝の意を表しました。また、彼は信者たちの死に対しても悲しみを隠しませんでした。
彼の弟子たちが彼の周りに集まり始めました。「少なくとも40人、多い時には60人の弟子」がいました。彼が身延山に行った目的の一つは、法華経信仰の系譜を永久的な基盤に置くために弟子を教育することでした。彼らは24時間法華経を読み、朝から晩まで『摩訶止観』(天台大師による法華経の神学書)について議論しました。彼らは睡眠と休息の時間を削り、毎日の修行と学習に集中しました。日蓮聖人は、「修行と学習に集中しなさい。修行と学習なしに仏教はありません。この二つを実行し、他の人にも同じことをするように勧めなさい。修行と学習は信仰から生じるものでなければなりません」と主張されました。彼は釈尊の神聖な経典を丁重に祭壇に置き、様々な仏教宗派の論文を集めて研究を続け、弟子たちに神学を教えられました。
彼はまた、信者たちに個人的に説法を行いながら、モンゴル(元)による日本の征服を心配していました。日蓮聖人が平左衛門尉に、モンゴルは年内に日本を侵略するだろうと明確に告げた通り、彼らは実際に1274年(文永11年)10月に九州の筑前国(そして壱岐・対馬)を侵略しました。壱岐・対馬の敗北の悲報が届いたとき、幕府と朝廷とともにすべての国民が驚愕しました。幕府は九州に援軍を送りました。同時に、朝廷に同調して神社仏閣に敵降伏のための特別な祈祷を行うよう命じました。これはまさに、平和と正義に関する論文(立正安国論)で日蓮聖人が行った、内部の騒乱と外部からの侵略の予測が現実となったものでした。内部騒乱の予測は北条時輔の反乱で現実となり、外国の侵略の予測はモンゴルによる前例のない日本侵攻で現実となりました。それはまず第一に、法華経の行者であるという彼の意識を強めました。同時に、日本国民が外国の征服者に服従することを考えると、彼は涙を流しました。最後に日蓮聖人は、この悲しい現実(外国の征服)は最終的に法華経の普及につながり、日本が神聖冒涜の国から真実の信仰の国へと転換することにつながると固く信じました。
モンゴルの征服に服従させられた人々の悲惨な状況に対する日蓮聖人の描写は非常に生々しいものです。戦記の目撃証言とも言える、日蓮聖人による以下のモンゴル戦争の描写は、文学的かつ宗教的価値の高さを示しています:
1174年(文永11年)10月、壱岐と対馬の住民が一斉に亡くなったとき、どうしてそれを自分には関係ないことだと考えられたでしょうか。年老いた両親、幼い子供、新妻、そして愛する家を捨てて、侵略者に対して見知らぬ海岸を防衛するために派遣された兵士たちの悲しみはどれほど大きかったでしょうか。雲を見ては敵の軍旗を想像し、漁船を見ては軍艦だと思って怯えました。彼らは1日に1、2回山に登り、夜には3、4回馬に鞍を置いて敵を見張りました。彼らはまるで果てしない戦いの世界(修羅道)に生きているように感じていました。
日蓮聖人にとって、国が敗北する悲しみは、法華経が広まる幸福へとつながりました。彼にとって、国策への盲従は決して忠誠ではなく、真の忠誠とは法華経の精神に導かれた国家の実現を祈ることでした。日蓮聖人のモンゴル襲来の解釈は主観的であると同時に宗教的でもあり、「それらは法華経を広めるための日蓮の布教活動によって引き起こされたものであり、梵天と帝釈天が真実の信仰を誹謗した者たちを粉砕するためにモンゴルを日本に送った」と主張しました。日蓮聖人は実に、法華経という偉大な真実の信仰が広まるべきまさにその時に日本に現れた「全世界で最初の聖人」でした。
日蓮聖人が法華経を広めることの正しさと、自らの信念の勝利を宣言したのは、『撰時抄』の中でした。モンゴルの脅威を念頭に置きながら1275年(建治元年)6月10日に書かれたこの書の中で、日蓮聖人は「仏法を学ぶ道は時による」と宣言しました。彼は、自らが遭遇した迫害と現実となった予測は、彼が仏の予言した人物であることを証明していると主張しました。日蓮聖人はまた、仏が法華経に記述した仏教の歴史は、日蓮聖人によって証明されたと述べました。日蓮聖人はこの歴史を選び、それが彼に法華経を広める使命を自覚させました。
日蓮聖人は、自分が多量の「三毒(貪・瞋・癡)」を持つ人間であるにもかかわらず、お題目を唱え、他者にも参加するように勧めている以上、自分は仏の使いでしかないと悟ったとき、深い幸福感と喜びを感じました。1276年(建治2年)3月16日、彼の旧師である道善房が亡くなりました。日蓮聖人は深く悲しみ、上下二巻からなる『報恩抄』を執筆されました。その中で彼は、道を求めた理由は成仏し、両親と師匠を救うためであったと述べています。仏道を求める中で、彼は両親と師匠に逆らい、すべての仏教宗派は仏の心に反しており、法華経だけが仏の真の心とその悟りを明確に示しているという結論に達したと主張しました。両親と師匠を救うために、彼は法華経に従い様々な迫害に耐え、インド、中国、日本の仏教を学び、他宗派の誤りを指摘したと続けました。彼は特に天台宗と真言宗の密教が最も神聖を冒涜するものであり、国家の災難の原因であると指摘しました。彼は、迫害や困難を通じて法華経を広めたことによるすべての功徳は、両親と師匠に捧げられると述べました。彼はお題目を唱える功徳を説明し、御本尊とお題目を広め、戒壇を建立する功徳はすべて師匠の道善房に捧げられると述べました。
日蓮聖人は、人間として成仏し、人格を向上させることが真の恩返しであると主張しました。彼にとって、法華経のために命を捧げることは釈尊への恩返しであり、正法を謗ったとして日本政府を批判することは、すべての国民と国家の恩に報いることでした。日蓮聖人がそれをできたのは師匠の恩によるものであり、したがって彼が蓄積したすべての功徳は師匠に捧げられると彼は宣言しました。自分が受けた恩を知り、その恩に報いるために功徳を積み、そのようにして恩返しに最善を尽くしたのは、日蓮聖人の宗教の特徴でした。
第二陣、第三陣が続くことを期待して
日蓮聖人の入滅
三度の国家への諫暁(国諫)と四度の大難、佐渡島の風雪、そして身延山での食糧不足に耐えることができた強健な日蓮聖人の健康は、1279年(弘安2年)1月頃から影響を見せ始めました。彼は四条金吾が処方した薬を飲んで一時的に健康を取り戻しましたが、その年の夏の長雨と冬の大雪により、再び健康が衰え始めました。1282年(弘安5年)9月8日、日蓮聖人は栗毛の馬に乗り、信者たちを伴って、8年間住み慣れた身延山を出発しました。彼は故郷を訪れることと、健康を回復するために栃木県の常陸の湯(温泉)に行くことを念頭に置いていました。
9月18日、彼は武蔵国(東京)の池上にある池上宗仲の屋敷に到着し、そこで亡くなりました。10月13日、日蓮聖人は多くの弟子や信者に囲まれ、自ら筆を執られた大曼荼羅と常に持ち歩いていた釈迦牟尼仏の立像の前で、波乱に満ちた60年の生涯を閉じられました。言い伝えによると、大地が震え、桜の木が一斉に花を咲かせ、山全体を覆ったと言われています。彼の遺言には「私の魂が永遠に住む身延山に私の墓を建ててください」と記されていました。
無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い奉ること難し
我今見聞し受持することを得たり 願わくは如来の第一義を解せん
至極の大乗 思議すべからず 見聞触知 皆菩提に近づく 能詮は報身 所詮は法身
色相の文字は即ち是れ応身なり 無量の功徳 皆この経に集まれり
是の故に自在に冥に薫じ 密に益す 有智無智 罪を滅し善を生ず
若しは信 若しは謗 共に仏道を成ず 三世の諸仏 甚深の妙典なり
生生世世 値遇し頂戴せん
この上なく深く、最も優れた教えは、
計り知れないほど長い年月(劫)が経っても、めぐり逢うことは難しい。
今、私たちはこの素晴らしい教えを説く経典を受け取ることができた。
どうか、如来(仏)が説かれた究極の真理を理解できますように。
大乗(偉大な乗り物)、最高の教えは、
私たちの理解を超えている。
しかし、この経典を見聞きする者は誰もが、
悟り(菩提)に近づくであろう。
それを説き明かす者は永遠の仏(報身)であり、
説き明かされたものは仏の真理(法身)である。
そして、経典を構成する文字のすべてが、
姿を現した仏(応身)そのものである。
計り知れないすべての素晴らしい功徳が、
この素晴らしい経典に集まっている。
これによって、あらゆる神秘と奇跡を用いて、
すべての生きとし生けるものを救う。
賢い者も愚かな者も、すべての人が
罪を滅ぼし、善行を積むであろう。
教えを信じる者も、さらにはそれを謗る者であっても、すべての人が
この経典を通じて成仏(仏の道を成就)するであろう。
この経典は最も素晴らしく、最も優れたものであり、
過去、現在、未来の仏たちによって説かれたものである。
生まれ変わるたびに、世界が変わるごとに、
私たちがこの経典にめぐり逢い、受け取ることができますように。
爾時世尊(にじせそん)。
従三昧(じゅうさんまい)。
安詳而起(あんじょうにき)。
告舎利弗(ごうしゃりほつ)。
諸仏智慧(しょぶつちえ)。
甚深無量(じんじんむりょう)。
其智慧門(ごちえもん)。
難解難入(なんげなんにゅう)。
一切声聞(いっさいしょうもん)。
辟支仏(ひゃくしぶつ)。
所不能知(しょふのうち)。
所以者何(ゆえんしゃが)。
仏曽親近(ぶつぞうしんごん)。
百千万億(ひゃくせんまんのく)。
無数諸仏(むしゅしょぶつ)。
尽行諸仏(じんぎょうしょぶつ)。
無量道法(むりょうどうほう)。
勇猛精進(ゆみょうしょうじん)。
名称普聞(みょうしょうふもん)。
成就甚深(じょうじゅじんじん)。
未曾有法(みぞううほう)。
随宜所説(ずいぎしょせつ)。
意趣難解(いしゅなんげ)。
舎利弗(しゃりほつ)。
吾従成仏已来(ごじゅうじょうぶついらい)。
種種因縁(しゅじゅいんねん)。
種種譬喩(しゅじゅひゆ)。
広演言教(こうえんごんきょう)。
無数方便(むしゅほうべん)。
引導衆生(いんどうしゅじょう)。
令離諸著(りょうりしょじゃく)。
所以者何(ゆえんしゃが)。
如来方便(にょらいほうべん)。
知見波羅蜜(ちけんはらみつ)。
皆已具足(かいいぐそく)。 舎利弗(しゃりほつ)。
如来知見(にょらいちけん)。 広大深遠(こうだいじんのん)。
無量無碍(むりょうむげ)。
力無所畏(りきむしょうい)。
禅定解脱三昧(ぜんじょうげだつさんまい)。
深入無際(じんにゅうむさい)。
成就一切(じょうじゅいっさい)。
未曾有法(みぞううほう)。 舎利弗(しゃりほつ)。
如来能種種分別(にょらいのうしゅじゅふんべつ)。
巧説諸法(ぎょうせっしょほう)。 言辞柔軟(ごんじにゅうなん)。
悦可衆心(えっかしゅしん)。 舎利弗(しゃりほつ)。
取要言之(しゅようごんし)。
無量無辺(むりょうむへん)。
未曾有法(みぞううほう)。
仏悉成就(ぶっしつじょうじゅ)。
止(し)。 舎利弗(しゃりほつ)。
不須復説(ふしゅぶせつ)。 所以者何(ゆえんしゃが)。
仏所成就(ぶっしょじょうじゅ)。
第一希有(だいいちけう)。
難解之法(なんげしほう)。
唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)。
乃能究尽(ないのうくじん)。 諸法実相(しょほうじっそう)。
(所謂諸法(しょいしょほう)。
如是相(にょぜそう)。
如是性(にょぜしょう)。
如是体(にょぜたい)。
如是力(にょぜりき)。
如是作(にょぜさ)。
如是因(にょぜいん)。
如是縁(にょぜえん)。
如是果(にょぜか)。
如是報(にょぜほう)。
如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)。)
(3回繰り返す)
その時、世尊(釈尊)は静かに瞑想から立ち上がり、舎利弗に語りかけました。
仏の智慧は最も深く、計り知れない。その智慧への門は入ることが難しい。小乗(声聞や縁覚)の教えに従う者には、仏の智慧は難しすぎて理解できない。なぜなら、仏たちは過去に数え切れないほどの仏たちに自ら親しく近づき、過去の仏たちから教えられた無数の悟りへの修行を実践し、世界中にその名が知れ渡るほどの勇猛精進の努力を示し、この上ない真理を達成し、聞く者の様々な資質に合わせて便利な方法(方便)でそれを説いてきたからである。
舎利弗よ! 私は成仏して以来、他の仏たちと同様に、様々な資質を持つ人々に真理を理解させるために、多くの物語や比喩を巧みに用いてきた。真理を解明するための私の幅広い方法は、人々を執着から解放することに成功してきた。なぜなら、如来である私は、方便と智慧において最高の完成(波羅蜜)を獲得しているからである。
舎利弗よ! 私の智慧は広く深い。私の慈悲は無限である。私の言葉には何の障害もない。私はあらゆる力、恐れのないこと(無畏)、瞑想(禅定)、解脱を備え、この上ない真理を達成している。
舎利弗よ! 私は表現方法を変えながら巧みに真理を説いてきた。私の言葉は、聞く者を喜ばせるほど優しく、心のこもったものであった。
舎利弗よ! 仏たちは計り知れず、無限で、この上ない完璧な真理を達成していると言うにとどめておこう。
舎利弗よ! これ以上真理を説明するのはやめよう。なぜなら、仏たちが達成した真理は極めて稀で、最も理解しがたいものだからである。仏と仏だけが、すべての存在のありのままの姿(諸法実相)を究めることができる。すなわち、それらがどのような外見(相)、性質(性)、実体(体)、力(力)を持っているか、何を行っているか(作)、それらが存在するための直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)は何か、どのような結果(果)と報い(報)をもたらすか、そして、これらが初めから終わりまで究極的に等しい(本末究竟等)ということを。
仏の出現
諸仏世尊は(しょぶつせそんわ)。衆生をして(しゅじょうをしてい)。仏知見を開かしめ(ぶっちけんをひらかしめ)。清浄なることを得せしめんと(しょうじょうなることをえせしめんと)。欲するが故に世に出現し給う(ほっするがゆえに世にしゅつげんしたもう)。
衆生に(しゅじょうに)。仏知見を示さんと(ぶっちけんをしめさんと)。欲するが故に世に出現し給う(ほっするがゆえに世にしゅつげんしたもう)。
衆生をして(しゅじょうをしてい)。仏知見を悟らしめんと(ぶっちけんをさとらしめんと)。欲するが故に世に出現し給う(ほっするがゆえに世にしゅつげんしたもう)。
衆生をして(しゅじょうをしてい)。仏知見の道に入らしめんと(ぶっちけんのどうにいらしめんと)。欲するが故に世に出現し給う(ほっするがゆえに世にしゅつげんしたもう)。
舎利弗(しゃりほつ)。これを諸仏は(これをしょぶつわ)。唯(ただ)。一大事の(いちだいじの)。因縁を以ての故に(いんねんをもってのゆえに)。世に出現し給うと名づく(世にしゅつげんしたもうとなづく)。
仏がこの世に出現されたのは、人々が自分自身の内にあると気づいていない仏の智慧の宝庫(仏知見)を開かせ、彼らを清らかにするためである。
仏がこの世に出現されたのは、人々に仏の智慧を示すためである。
仏がこの世に出現されたのは、人々に仏の智慧とは何かを理解させるためである。
仏がこの世に出現されたのは、人々を仏の智慧の道へ導き入れるためである。
三界(さんがい)
三界は安きこと無し(さんがいわやすきことなし)。猶(なお)。火宅の如し(かたくのごとし)。衆苦充満して(しゅくじゅうまんして)。甚だ怖畏すべし(はなはだふいすべし)。
常に(つねに)。生老病死の(しょうろうびょうしの)。憂患あり(うげんあり)。斯の如き等の火は(かくのごときらのひわ)。熾然として息まず(しねんとしてやまず)。
如来は(にょらいわ)。已に三界の火宅を離れて(すでにさんがいのかたくをはなれて)。寂然として(じゃくねんとして)。閑居し林野に安処せり(げんごしりんやにあんじょせり)。
今此の三界は(いまこのさんがいわ)。皆是れ(みなこれ)。我が有なり(わがうなり)。其の中の衆生は(そのなかのしゅじょうわ)。悉く是れ(ことごとくこれ)。我が子なり(わがこなり)。
而も今此の処は(しかもいまこのところわ)。諸の患難多し(もろもろのげんなんおおし)。唯我れ一人のみ(ただわれいちにんのみ)。能く救護を為す(よくくごをなす)。
三界(この世界)は、燃え盛る家(火宅)のように安全ではない。
そこは苦しみに満ちている。
本当に恐ろしい苦しみに。
四つの大きな苦しみ(四苦)がある。
生、老、病、死である。
これらの苦しみの火は
絶え間なく燃え続けている。
如来(仏)はすでに
この燃え盛る家である世界から退き、
悟りの平和な場所で
静かに暮らしている。
三界全体が
すべて私の領域である。
そこに住むすべての生きとし生けるものは
私自身の愛する子供たちである。
しかし、この場所は
多くの大きな苦しみに満ちている。
すべての生きとし生けるものを救うことができるのは
私だけである。
僧尼の派遣
我が化の(わがけの)。四衆(ししゅ)。比丘(びく)。比丘尼(びくに)。及び清信士女を遣わして(およびしょうしんじにょをつかわして)。法師を供養せしめ(ほっしをくようせしめ)。諸の衆生を引導して(もろもろのしゅじょうをいんどうして)。之を集めて(これをあつめて)。法を聴かしめん(ほうをきかしめん)。
若し人(もしひと)。悪く刀杖(あくとうじょう)。及び瓦石を加えんと欲せば(およびがしゃくをくわえんとほっせば)。則ち変化の人を遣わして(すなわちへんげのひとをつかわして)。之が為に(これがために)。衛護と作さん(えいごとさん)。
私は僧侶と尼僧を派遣しよう。
そして男女の在家信者たちも。
彼らは皆私の化身であり、
この経典の説教者を敬うために派遣する。
彼らに人々を集めさせよう。
人々は彼から素晴らしい真理(妙法)を聞くであろう。
もし誰かが彼を攻撃しようと企てたなら、
刀、杖、瓦、または石で。
私は彼を守るために
私の化身である者たちを派遣しよう。
宝塔の出現
爾の時に(そのときに)。宝塔の中より(ほうとうのうちより)。大音声を出して(だいおんじょうをいだして)。讃めて言わく(ほめてのたまわく)。善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)。能く平等大慧(よくびょうどうだいえ)。教菩薩法(きょうぼさっぽう)。仏所護念の(ぶっしょごねんの)。妙法蓮華経を以て(みょうほうれんげきょうをもって)。大衆の為に(だいしゅのために)。説き給う(ときたもう)。
如是如是(かくのごとし。かくのごとし)。釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)。所説の如きは(しょせつのごときは)。皆是れ(みなこれ)。真実なり(しんじつなり)。
その時、宝塔の中から釈尊を讃える大きな声が聞こえてきました:
素晴らしい!素晴らしい!世尊である釈尊は、すべての生きとし生けるもののために、素晴らしい真理である法華経を説かれました。これは平等の教え、大いなる智慧、仏の子らが悟りを開くための教え、すべての仏に守られている教えを明らかにする経典です。
したがって、私は世尊である釈尊が説かれたことの真実を証明します。
妙法蓮華経 如来寿量品第十六(如来の寿命の長さ)
私が仏になってから、
非常に多くの長い年月(劫)、とてつもなく多くの、
何百千万億という劫をはるかに超える、
実に数え切れないほどの年月が経ちました。
この数え切れない年月の間ずっと、
私は絶え間なく法を説いてきました。
すべての生きとし生けるものを、
仏(悟りを開いた者)の道へと導くために。
私はかつて、方便として
この世から姿を消した(入滅)ように見せました。
しかし実際には、私は決して亡くなったわけではありません。
今もここで生き、法を説き続けているのです。
私は永遠にここに留まっていますが、
心がねじ曲がった者には私の姿が見えないようにしています。
本当は、素晴らしい力(神通力)を自在に使って、
常に彼らを見守っているのですが。
私が死んでしまったと思い込んでいる人々が、
深い敬意を持って私の遺骨(舎利)を供養し、
限りない敬虔さと崇拝の念で
心から私を慕い、
とても優しく、素直になり、
まっすぐで、穏やかで、信仰に固く決心し、
命をかけても、心からの願いで
私に会いたいと切望するようになったとき、
私は弟子たちを連れて、
霊鷲山(りょうじゅせん)に姿を現し、
彼らに次のように告げましょう。
「私は永遠にここにいて、決して亡くなったわけではない。
ただ、心がねじ曲がった者を導くための手段(方便)として、
姿を消したように見せただけなのだ」と。
私が他の場所で、
敬虔で信仰の固い人々を見つけたときはいつでも、
彼らの前にも姿を現し、
この上ない真理を聞かせましょう。
この素晴らしい真理を理解していないあなたは、
私がすでに命を失ったと思い込んでいます。
私はすべての生きとし生けるものが、
恐ろしい苦しみの海に惨めに沈んでいるのを見ています。
だからこそ、彼らが私に会いたいと願うように、
彼らの視界から身を隠すのです。
彼らが心から私を愛するようになったとき、
私は彼らの前に現れ、法を説きましょう。
これは私の素晴らしい力によるものです。
太古の昔から、
私は霊鷲山に留まり、
また世界中のあらゆる場所にいるのです。
人々はこの世界が燃え上がり、
この世の終わりが近づいていると思い込んでいます。
しかし、私の目には、この世界はかつてないほど平和で、
常に天の神々で満ち溢れています。
見なさい!
私のこの世界には庭園や宮殿があり、
あらゆる種類の宝石や宝物で飾られ、
花や実をたくさんつけた木々があります。
それはまさに、すべての人にとって至福の浄土なのです。
聞きなさい!
神々が天の太鼓を打ち鳴らし、
様々な天上の音楽を奏でています。
そして、私と大勢の信者たちの上に、
天の花を降らせているのです。
この世界、私の浄土は決して滅びることはありません。
しかし人々は、悲しみ、恐怖、その他の苦しみに満ちたこの世界が、
間もなく燃え尽きて無になってしまうと思い込んでいます。
そのような人々は、素晴らしい真理から迷い出て、
罪深い幻想を抱いているため、
数え切れないほどの長い年月を、
三宝(仏・法・僧)について聞くことなく過ごすかもしれません。
あらゆる功徳を積み重ね、
敬虔で信仰の固い人々は、
私がここにいて、すべての生きとし生けるものに
素晴らしい真理を説いているのを見るでしょう。
これらの敬虔な人々に対して、私は
私の命は永遠であると説きます。
長い努力の末に私に会う人々には、
「仏に会うことは稀なことである」と言いましょう。
私の智慧の力はこのようであり、
私の智慧の光は無限です。
私は数え切れないほどの長い年月修行することによって、
永遠の命を得たのです。
少しでも智慧を持つあなた方は、
決してそれを疑ってはなりません。
すべての疑いを永遠に捨て去りなさい。
私の言葉はすべて真実です。
あの名医が、生きているにもかかわらず、
息子たちを心の歪みから解放するために、
自分の嘘の死を息子たちに知らせたとしても、
嘘つきだと非難されることがないのと同じように、
私はこの世界の人々の父であり、
すべての苦しみから人々を救う者なのです。
私は永遠ですが、
心がねじ曲がった人々が救われるように、死んだふりをしましょう。
なぜなら、彼らがいつも私を見ることができれば、
彼らは愛に甘やかされ、
官能的な喜びに溺れ、
最終的には悪の世界に落ちてしまうからです。
私は人々の多様な性質に応じて、
様々な方法で法を説き、
彼らが仏(悟りを開いた者)の道に従うかどうかを
見ています。
私は常に、どのようにしてすべての生きとし生けるものを
この上ない道に入らせ、
彼らを成仏させるかについて
考えているのです。
私たちが今、そのお題目(聖なるタイトル)を唱えている経典に説かれている素晴らしい真理は、過去の仏たちが教え、現在の仏たちが教えており、未来の仏たちが教えるであろうものです。それは真実で純粋な大いなる法であり、その布教は、霊鷲山で仏によって主に上行菩薩に託されました。
私たちが神聖なタイトルである「南無妙法蓮華経」を一度唱えれば、三千世界がそのままの姿で私たちの心の中に存在するという正しい見解(一念三千)を得るでしょう。静かな光に包まれた浄土(寂光浄土)が私たちの目の前に現れ、私たちの仏性は三身即一の仏と一体化し、他のすべての生きとし生けるものと共に、真理の世界に生きる喜びを味わうでしょう。
私たちが神聖なタイトルを唱える声が世界中に響き渡り、三宝に捧げられ、すべての生きとし生けるものに与えられますように。すべての生きとし生けるものが唯一の真理の世界である大乗に入り、仏国土が美しく飾られ、すべての生きとし生けるものが私たちが唱える功徳の恩恵を受けますように。
此の経は持ち難し(このきょうはたもちがたし)
若し暫くも持つ者は(もししばらくもたもつものは)
我れ即ち歓喜す(われすなわちかんぎす)
諸仏も亦然なり(しょぶつもまたしかり)
是の如き人は(かくのごときひとは)
諸仏の歎めたもう所なり(しょぶつのほめたもうところなり)
是れ則ち勇猛なり(これすなわちゆうみょうなり)
是れ則ち精進なり(これすなわちしょうじんなり)
是れ名づけて戒を持ち(これなづけてかいをたもち)
頭陀を行ずる者とす(ずだをぎょうずるものとす)
則ち為れ疾く(すなわちこれとく)
無上の仏道を得たり(むじょうのぶつどうをえたり)
能く来世に於て(よくらいせにおいて)
此の経を読み持つ者は(このきょうをよみたもつものは)
是れ真の仏子(これまことのぶっし)
淳善の地に住するなり(じゅんぜんのちにじゅうするなり)
仏の滅度の後に(ぶつのめつどののちに)
能く其の義を解するは(よくそのぎをげするは)
是れ諸の天人(これもろもろのてんにん)
世間の眼なり(せけんのまなこなり)
恐畏の世に於て(きょういのよにおいて)
能く須臾も説かんは(よくしゅゆもとかんは)
一切の天人(いっさいのてんにん)
皆応に供養すべし(みなまさにくようすべし)
私たちがこれまで積み重ねてきたすべての功徳を、謹んで捧げます。
永遠にして真実の導師である釈尊に。
最高の教えである法華経に。
末法時代の指導者である、
立正大師、私たちの宗祖、大菩薩日蓮聖人に。
私たちの信仰に従って功績を残された
日蓮宗の偉大な師たちに。
そして、法(Dharma)の守護神たちに。
天下四海のすべての人が法華経に帰依しますように。
法華経が末法の世の一万年にわたって
広まりますように。
天地が永遠に続き、
平和がこの国に行き渡りますように。
五穀が豊かに実り、
すべての人が平和と幸福を享受できますように。
私たちの家族が安全に暮らし、
災難なく長生きできますように。
私たちの子孫が永遠に続き、
その家族が繁栄しますように。
私たちの六根を清め、
永遠の過去から犯してきた
すべての罪を懺悔します。
一万人の人々が栄える
真の仏教の国において。
法華経が毎日読誦される家庭において、
七つの災難は消え去るでしょう。
先祖の魂と、
宇宙のすべての魂のために祈ります。
彼らが悟りを開き、
苦しみを乗り越え、幸福を得られますように。
彼らが法華経の功徳によって
この世界で成仏できますように祈ります。
霊界のすべての存在が平等に救われますように。
「南無妙法蓮華経」
本日、ここに◯◯回忌の追善法要を営むにあたり、仏陀、宗祖日蓮聖人、そして三宝の御前にて、法華経を読誦し、お題目を唱える功徳を謹んで◯◯の御霊に回向(捧げ)いたします。
法華経とお題目を唱える声が霊界の隅々にまで行き渡りますように。故人の魂が霊界の隅々にまで行き渡りますように。私たちの祈りの心が霊界の隅々にまで行き渡りますように。すべての功徳が故人に届き、故人の幸福を増進させますように。
法華経には次のように説かれています。「もし将来、善男子、善女人がいて、法華経を聞き、純粋な心で信じ敬い、疑いを持たないなら、その人は下の三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に落ちることはありません。その代わり、その人は十方の仏たちに囲まれた仏国土に生まれ変わるでしょう。どこに生まれようとも、その人は常に法華経を聞くでしょう。人間界や天上界に生まれたなら、その人は最高の幸福を得るでしょう。仏の御前に生まれたなら、その人は蓮の花から生まれるでしょう」。
すべての生きとし生けるものがこれらの功徳で祝福され、私たち全員が共に成仏できますように。
「南無妙法蓮華経」
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)
法門無尽誓願知(ほうもんむじんせいがんち)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
生きとし生けるものは無数ですが、
すべてを救済することを誓います。
私たちの煩悩(悪しき欲望)は尽きませんが、
すべてを断ち切ることを誓います。
仏の教えは計り知れませんが、
すべてを学ぶことを誓います。
仏の道は最高無上ですが、
崇高な道を成し遂げることを誓います。
1. 立正安国論
汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり。仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。
国衰えず土壊れずんば、身は是れ安全、心は是れ禅定ならん。此の辞此の言、信ずべく崇むべし。
解説:
鎌倉幕府の元執権・北条時頼に提出された『立正安国論』は、主人と客との問答形式で書かれています。以下は、信仰を持つようにという主人から客への最後のアドバイスです。
あなたは一刻も早く間違った信仰を変え、仏の最高の教えである法華経に帰依しなければなりません。そうすれば、三界、つまり世界全体がすべて仏国土となるでしょう。どうして仏国土が衰えることがあるでしょうか。また、十方、つまりすべての土地が「宝土」となるでしょう。どうして「宝土」が破壊されることがあるでしょうか。
土地の衰退や破壊がなければ、そこに住む人々の生活は平和になり、その心は穏やかで幸せなものになります。これは私の独断的な意見ではなく、仏教の経典に基づいています。私が以前に説明した通りであり、あなたも異存はないはずです。心を開いて私の言葉を信じ、心から敬わなければなりません。それが正しい宗教と社会の平和への道なのです。
2. 四条金吾女房御書
日月よりあきらかなるものやある。蓮華よりきよきものやある。法華経は日月と蓮華なり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華とのごとし。
解説:
太陽や月より明るいものはありません。蓮の花より清らかなものはありません。法華経の内容は、まさに太陽や月の明るさと、蓮の花の清らかさそのものです。したがって、「妙法蓮華経」と呼ばれます。太陽、月、そして蓮の花は、日蓮の命であり魂です。(これはまさに「日蓮」という名前の由来です。)
3. 生死一大事血脈抄(最蓮房への手紙)
総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を、生死一大事の血脈とは云うなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か。剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之れ有らば、例せば城者として城を破るが如し。
解説:
日蓮聖人のすべての弟子と信者が個人的なエゴイズムを捨て、互いの関係を魚と水のような切り離せない関係であると信じ、心を一つにして「南無妙法蓮華経」と唱えるとき、そこには私たちの生と死における最も重要な事柄の血脈、すなわち永遠の仏と直接結びついた信仰があります。結局のところ、日蓮聖人が命を懸けて広めようとしたのは、すべての人間が永遠の仏と直接つながっていることを知らせるためでした。
日蓮宗のメンバーが、宗教的に血のつながった一つの家族のように団結すれば、法華経を世界中に広めるという日蓮聖人の大きな願いが達成されることは間違いありません。日蓮聖人の信者の中に、この団結を壊す者がいるなら、それは城を守る者でありながら、密かに敵が城を破壊するのを助ける裏切り者のようなものです。
4. 開目抄
外典の孝養は今生に限る。未来の父母を扶けざれば、外典の聖賢は有名無実なり。外道は過去・未来を知れども、父母を扶くる道なし。只仏教のみ過去・未来の父母を扶くれば、聖賢の名あり。然れども法華経已前の経並びに諸宗は、己が身だにも仏にならず。況んや父母をや。只文のみあって義なし。法華経に至って、女人成仏説かれて、初めて母の成仏顕れ、提婆達多の悪人成仏説かれて、父の成仏顕る。此の経は内典の孝経なり。
解説:
結局のところ、儒教は道徳的な教えの学校にすぎません。したがって、その親孝行の概念はこの世に限られており、来世の親孝行については説いていません。しかし、親孝行が来世にまで及ばない限り、その人は聖人や賢人と呼ばれるに値しません。もしそう呼ばれたとしても、それは名ばかりのものです。インドの哲学派(外道)は過去と未来について語りますが、一般的には冷たい論理に関心があります。温かい信仰の宗教ではないため、来世での親孝行を説いていません。
この意味で、仏教は来世での親孝行と成仏への道を説いているため、聖人や賢人の名に値します。しかし、法華経以前に説かれた経典を基礎とする阿弥陀宗、真言宗、禅宗などの多くの仏教宗派は、自分自身が成仏することはできず、ましてや両親が成仏するのを助けることはできません。どんなに素晴らしいように聞こえても、それらは空虚な言葉にすぎません。仏陀が法華経を説き、女性が成仏した例として竜女の成仏を、悪人が成仏した例として提婆達多の成仏を示されたとき、私たちが両親の成仏を助けることができることが明らかになりました。この意味で、法華経はすべての仏教経典の中でまさに最も親孝行な経典なのです。
5. 開目抄
我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん等と誓いし願やぶるべからず。
解説:
日蓮聖人は誓いを立てられました。たとえ日本の統治者が、法華経を捨てて来世の救済のために阿弥陀経を信じることを条件に、日本の王位を与えようと誘惑しても、あるいは、彼が「南無阿弥陀仏」と言わなければ両親を処刑すると脅したとしても、自分よりも賢い人が現れて道理によって彼を打ち負かさない限り、どのような誘惑や脅迫にも決して屈することはない。それ以外の大きな困難は、風の前の塵のようなものである。日蓮聖人は、「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん」という三大誓願を立て、それを何としてでも守り抜く決意をしておられました。
6. 諸法実相抄(最蓮房への手紙)
今の世の法難を思う毎に涙わき、未来の成仏を思えば喜悦の涙に咽ぶ。鳥と虫とは泣けども涙落ちず。日蓮は泣かねども涙絶えず。此の涙、世間の事には非ず。偏に法華経の故なり。若し然らば甘露の涙とも云いつべし。
解説:
日蓮聖人が、自らの人生で耐えなければならなかったすべての困難が法華経のためであると悟ったとき、彼は深く心を動かされ、涙がこぼれ落ちました。そして、自分が蓄積した功徳によって近い将来に成仏する可能性を考えたとき、喜びの涙を流すことを止めることができませんでした。鳥や虫は涙を流さずに鳴きます。日蓮聖人は声を出して泣きはしませんでしたが、絶えず涙を流し続けました。これらの涙は何のためだったのでしょうか? それらは世俗の幸福、怒り、悲しみ、あるいは喜びのためではありませんでした。それらはすべて法華経を広め、人々を正しい道に導くためのものでした。したがって、これらの涙は甘露の涙と言えるでしょう。
7. 如説修行抄
天下万民 諸乗一仏乗に帰し、妙法独り繁昌して万民一同に「南無妙法蓮華経」と唱え奉らば、吹く風枝を鳴らさず、雨壌を砕かず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ。現世安穏の証文、疑い有るべからざる者なり。
解説:
もし世界中のすべての人々、世界のすべての教えが、仏の唯一の最高の教えに帰依し、法華経だけが信じられ、すべての人々が声を合わせてお題目を唱えるような時代が来れば、吹く風や降る雨は穏やかになり、世界は古代中国の賢帝たち(伏羲や神農)の治世のように平和になることは間違いありません。その時が来れば、様々な災難は消え去り、すべての人が長生きし、人もその信仰も決して消えることはありません。その結果、いわゆる不老不死が実現するでしょう。そのとき、法華経で予言された「現世安穏」が証明されるのです。
8. 種種御振舞御書(光日尼への手紙)
仏滅後二千二百余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等も、いまだ弘め給わざる法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提に広まらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり。日蓮が弟子たち第二陣・第三陣と続きて、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教にも越えよかし。わずかの小島の主らを恐れて、閻魔王の責めをばいかんがすべき。仏の使と名乗りながら臆する者は最も下劣の者なりと申しし事これなり。
解説:
釈尊の死後2,200年間、仏教の伝統を受け継いだ迦葉、阿難、馬鳴、龍樹、南岳、天台、さらには妙楽、伝教でさえも、法華経の心であり仏の眼である「南無妙法蓮華経」のお題目を広めることはありませんでした。末法の世の始まりにおいて、日蓮聖人は、世界中にお題目が広まる最初の良い兆し(先駆け)であると主張しました。だからこそ、彼は僧侶も在家も、男も女も、彼の弟子たちに第二陣、第三陣として彼に続き、迦葉や阿難のような仏の偉大な弟子たち、あるいは中国の天台や日本の伝教のような偉大な仏教の学者たちを凌駕し、彼らの上に立つようにと促しました。彼は信者たちに、鎌倉幕府の執権である日本の支配者を恐れて彼に従わなければ、必ず閻魔大王に裁かれるだろうと警告しました。日蓮聖人は、仏の使いとしての名に恥じないように、勇敢でなければならないと常に信者たちに言ってきたと語りました。
9. 四条金吾殿御返事
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と打ち唱え居させ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力を致し給え。
解説:
人生は半分が苦しみで、半分が喜びです。困難な時には、くよくよ悩んでも仕方がありません。物事がうまくいっている時には、「有頂天」になる必要はありません。なぜなら、極度の幸福が深い悲しみに変わった時に、幻滅に陥らないという保証はないからです。したがって、苦しい時には、それを素直に受け入れ、それと共に生きるべきです。喜びが訪れた時には、それを冷静に受け入れ、楽しむべきです。このように、苦しみも喜びも人生の一部であると考え、常に変わらぬ気持ちでお題目を唱えるべきです。これこそが、いわゆる自受法楽(自ら法の喜びを味わうこと)を創造し、その中に生きるということではないでしょうか? これ以上に純粋で、高く、神聖な精神的段階はありません。したがって、強い信仰を持つように努めてください。
10. 報恩抄
日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流布すべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にも勝れり。極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れひとえに日蓮が智恵の勝るには非ず。時のしからしむるなり。
解説:
日蓮聖人は常に自らを日蓮と呼びました。この著作で彼は、人々を救い、救済へと導く彼の慈悲は非常に大きいので、法華経は末法の世の一万年間だけでなく、その後も永遠に広まるだろうと述べています。今日の彼の法華経の普及には、誤った宗教によって真実の宗教に対して目を閉じられていた日本のすべての国民の目を開かせたという功徳があります。この功徳はまた、知らず知らずのうちに真実の法を誹謗した人々の地獄への道を塞ぎました。この大きな功徳は、伝教大師や天台大師、龍樹菩薩、迦葉尊者といった真実の仏教の偉大な師たちよりも大きいと彼は主張しています。
この苦しみの世界で蓄積された功徳が、極楽浄土の平和と静寂の中で100年間修行することによって蓄積された功徳よりもはるかに大きいというのは論理的ではないでしょうか? おそらく、仏の死後の二千年という、比較的容易であった(もちろん貴重ではありますが)時代に真実の法を広めた功徳は、末法という危険で退廃的な時代に、たとえ短時間であっても真実の教えを広めた功徳よりも小さいと言えるかもしれません。日蓮聖人は、これは彼の智慧が他者よりも優れていたからではなく、彼がより大きな功徳を蓄積する機会を得たのは、彼が生きた時代、つまり末法の世であったからだと言われました。
11. 上野殿御返事
今日蓮が弟子檀那の中に、法華経を信仰する人あり。火の如く信ずる人もあり、水の如く信ずる人もあり。聴聞する時は燃え立つばかり思えども、遠ざかりぬれば捨つる心あり。水のごとくと申すは、常に退転なく信ずるなり。此の殿は常に退転なく訪ね給えば、水のごとく信ずる人なり。尊し尊し。
解説:
日蓮聖人は、法華経の信者を観察すると、火のように信じる人もいれば、水のように信じる人もいると言われました。「火のような信仰」とは、説法を聞くときは燃える火のように興奮するが、一度そこを離れるとすぐに宗教的熱意が冷め、忘れてしまう人のことです。「水のような信仰」とは、絶え間なく揺るぎない信仰を意味します。上野殿(南条時光)は、何があっても定期的に贈り物や安否の問い合わせを送ってこられたので、日蓮聖人は、この殿は「水のような信仰」を持っており、それは素晴らしいことだと言われました。
12. 波木井殿御書
(弘安五年)九月八日、六十一歳にして身延の沢を罷り出でて、武蔵の国千束の郷、池上と申す処へ着き候いぬ。釈迦仏は天竺の霊鷲山にて八年法華経を説き給い、霊鷲山の東北、拘尸那城の阿利羅跋提河の辺、純陀が家にて御入滅候いしかども、御墓をば霊鷲山に立て給う。八年法華経を説き給う故なり。日蓮も又かくのごとく、身延の山の東北、武蔵の国 池上宗長が家にて身は終り候とも、御墓をば身延の山に立てさせ給え。九年の間、読誦し奉る法華経の御山なり。未来際までも心は身延の山に住むべく候。
解説:
1282年(弘安5年)9月8日、60歳(数え年で61歳)の時、日蓮聖人は長年住み慣れた身延山を出発されました。彼は18日、武蔵国(東京)の千束の郷の池上という場所に到着しました。この手紙の中で、日蓮聖人は、仏陀はインドの霊鷲山で8年間法華経を説き、霊鷲山の北東にあたる東インドで亡くなったと述べています。日蓮聖人によれば、仏陀はクシナガラの阿利羅跋提河の近くの純陀の家で亡くなりましたが、仏陀が8年間説法した聖なる山であったため、自らの墓を霊鷲山に建てさせました。したがって、日蓮聖人も釈尊の例に倣い、身延山から北東の方向にある武蔵国の池上宗長(宗仲)の邸宅で亡くなることを願っていました。しかし、どこで死のうとも、誰にも邪魔されることなく9年間法華経を読誦した場所である身延山に墓を建ててほしいと言われました。彼の魂は永遠に身延山に留まると言われました。
第1条(伝統)
日蓮宗は、永遠の真実の師である釈尊が末法の世に広めることを託した念願の法華経を、上行菩薩の生まれ変わりである日蓮聖人が確立し、説いた真の仏教を広める正統な仏教教団です。
解説:
日蓮宗は、正しい歴史と伝統を持つ宗教組織です。釈尊の真の教えを正しく理解し、仏の真の教えを広めるために法華経のお題目を唱えた日蓮聖人によって創設されました。釈尊は本仏(法華経第16章に説かれている、久遠実成の仏)です。仏は大いなる慈悲により、あらゆる場所におられ、私たちが成仏できるように常に助けようとされ、救済のために私たちに向かって手を差し伸べておられます。
しかし、悟りを開いていない私たちは、容易に仏を見たり、その慈悲の心を理解したりすることができません。そのため、釈尊は日蓮聖人を通じて、仏の真の姿と大きな慈悲が明らかにされた真の教えである法華経を私たちに与えられました。末法(釈尊の死後二千年以降の時代)、つまり人々が悪になり、真の仏教が失われる時代に法華経を伝え広めることは困難であると考えた仏は、その仕事を本来の弟子である上行菩薩らに託されました。
日蓮聖人は、自分自身が上行菩薩の化身、あるいは生まれ変わりであるという強い確信を持っていました。法華経が仏教の基盤を正し、仏のすべての教えに命を吹き込むという固い信念と、法華経を広めることが上行菩薩の生まれ変わりである自分(日蓮聖人)に対する仏の至上の戒めであるという信念に基づいて、彼は日蓮宗を創設しました。したがって、日蓮宗は法華経における仏の遺志と教えに基づいて真の仏教を広めました。日蓮宗は、すべての人々が実は仏であることに気づかせ、社会を純粋で、明るく、正しく、平和なものにするという、真の仏教の伝統と同様に、事実としての歴史の中に存在する教団です。
第2条(教義)
日蓮宗の教義は、法華経本門に説かれた主要な礼拝の対象としての「本門の本尊」、信仰と修行の不可欠な手段としての「本門の題目」、そして維持されるべき至上の戒律としての「本門の戒壇」から構成される「三大秘法」に基づいています。私たちの目標は、法華経を実践し、すべての思想を「妙法」に転換し、今生で成仏し、この世に仏国土を実現することです。
解説:
日蓮宗は日蓮聖人によって創設されましたが、法華経の教義に基づいているため、真の開祖は釈尊であると言えます。「宗旨(教義)」という言葉の意味は、「主君、尊ばれるもの、そしてもっぱら尊敬されるもの」であると言われています。しかし、日蓮聖人は(『宗旨十相抄』の中で)、「仏が教義を確立したとき、法華経の教えが最高であった」と書かれています。それは、法華経に基づく宗教教団が釈尊の教義であり、したがって最も尊敬されるべき教団であることを意味しています。言い換えれば、日蓮宗は釈尊の真の意図を支持する教団です。
法華経は迹門と本門の二つの部分に分かれています。迹門では、十界のすべてが仏性を持っている、つまり基本的な種を持っているため、皆が成仏できると説明されています。一方、本門では、仏の悟りの基盤が議論され、仏の慈悲の深さも説明されています。したがって、私たちが迹門に焦点を当てて法華経を読むとき、成仏の可能性(仏性の育成)を見出します。そして、私たちが本門に焦点を当てて法華経を読むとき、人々を救済するための仏の様々な活動、すなわち、すべての生きとし生けるものを救おうとする仏の偉大で深い慈悲を見出します。
日蓮聖人は、末法の世の人々は本質的に悪であり、罪深く、智慧がほとんどないため、彼らにとって最善の救済方法は仏の大きな慈悲を信頼し、仏に救済を求めることだと信じていたため、この本門の教義に主に関心を寄せていました。彼は本門の教義を「三大秘法」という形で私たちに提示しました。これが日蓮宗の教義、つまり「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」です。
「主要な礼拝の対象としての本門の本尊」
したがって、私たちが合掌して頭を下げ、帰依する仏は、常に私たちを救い、すべての人を仏にしようとする大きな慈悲を示しておられる永遠の真実の師、釈尊です。これが本門の正しい御本尊です。仏を表す大曼荼羅、木像、または絵像を通じて、私たちはこの本門の御本尊に正しく帰依します。
「信仰と修行の不可欠な手段としての本門の題目」
次に、私たちが本門の御本尊に真に帰依するためには、自分自身が実践するだけでなく、他の人々が「南無妙法蓮華経」を実践するのを助けることが重要です。これは真実の仏の悟りの内容です。お経を読んだり暗唱したり、お経を理解したり写経したりするなど、信仰の形は数多くありますが、最終的には「南無妙法蓮華経」を唱え、保つことが、私たちが確固たる信仰を持って生きることを可能にする修行の手段です。したがって、真実の仏の悟りであるこの「南無妙法蓮華経」は、仏が私たちに与えてくださった信仰と修行の精髄であると言える重要な教えなのです。
「維持されるべき至上の戒律としての本門の戒壇」
さらに、私たちは法華経を唱え、実践し、保たなければなりません。法華経を保つことは戒律を守ることであり、私たちが法華経を保つ場所が戒壇となります。しかし、すべての人が法華経を保つようになれば、資格を持った戒律の師が、真実の法を永続させるための仏教の戒律を授けることができる戒壇ができるでしょう。そのような目標を目指して、困難ではありますが私たちが法華経をしっかりと保つことは、真の本門の戒壇を確立するための第一歩です。言い換えれば、私たちはすべての人が平和に暮らす状態に到達します。したがって、究極の本門の戒壇は、すべての人が法華経を保つことであると言えるでしょう。
これらが三大秘法であり、これらを実践することによって、末法の世の人々は仏の悟りを得ることができます。これがまさに日蓮聖人の教義です。したがって、日蓮宗は、法華経の教えを生活の中で実践し、法華経の教えによってすべてのイデオロギーを是正し、私たち自身の心の中に仏性を見出し、すべての幻想から自分自身を解放し、私たちが住む世界全体を平和の浄土に変えるという目標の実現に向けて活動しています。
第3条(本願)
日蓮宗の本願は、自らの命を犠牲にすることを厭わないことを説く法華経の意義を心に留め、弟子や信者たちの心を一つにするという宗祖の戒めを守り、身延の宗祖の寺を中心とした信仰を保ち、すべての人を「妙法」に帰依させるという宗祖の願いを達成するために努力することです。
解説:
私たちが持つべき本願、心の誓い、根本的な誓い。すべての日蓮宗のメンバーは心を一つにし、日蓮聖人の願いを達成するために努力することを誓います。彼は、末法の世のすべての人々を法華経の信仰へと導き、仏の大きな慈悲のおかげで、彼らが自分自身の心の中に仏性を見出し、真実の信仰に従って人生を送ることができるようにするために、生涯を法華経の普及に捧げました。
この目的を達成するためには、人生の真の意味を理解するためには、人生への執着から自分自身を解放し、法華経に最大限の信仰を置き、心の底から仏を見るように努めなければならないと説く法華経の教えを心に留め、実践しようとしなければなりません。また、法華経の信者全員が心を一つに団結しない限り何も達成できないという宗祖の戒めを心に留め、実践しなければなりません。したがって、私たちに信仰を与えてくださった日蓮聖人の魂が永遠に住まう身延山(久遠寺)を尊敬し、敬うことは重要です。私たちは、宗祖の大きな慈悲の保護の下で、常に宗祖と共に生きていると固く信じなければなりません。
(宗徒および組織構造に関するセクションは省略されています。)
要約
仏教は仏の教えです。同時に、それは私たちを成仏へと導く教えでなければなりません。すべての生き物が成仏する可能性と、彼らが目標を達成するのを助ける仏の大きな慈悲を説明しているのが法華経です。釈尊は、将来、最高の教えであるこの法華経を広めることができる人物として上行菩薩を選ばれました。
一方、末法の世(仏の死後二千年後の邪悪な社会)が到来しました。約750年前に生まれた日蓮聖人は、仏教を学んだ後、法華経こそが釈尊の真の意図であると固く信じました。彼はそれを広めることを決心し、そのために様々な迫害に遭いました。彼は自らの経験によって、法華経、特に第13章に説かれていること、つまり法華経を広める者は頻繁な迫害に遭うという予言が真実であることを証明し、自分が永遠の仏の本来の弟子である上行菩薩の生まれ変わりであることに気づきました。
この自覚に基づき、日蓮聖人は命懸けで法華経を広め続け、すべての人を妙法に帰依させる運動に生涯を捧げました。私たちの教団、日蓮宗を創設したのはこの日蓮聖人です。それ以来、日蓮聖人の信仰と共に生きるすべての弟子と信者は、すべての人を法華経に帰依させ、世界全体を平和な浄土にしたいという偉大な日蓮聖人の目標を達成しようとしています。命よりも教えを重んじ、弟子と信者の間の心を一つにするという法華経と宗祖の戒めに従い、彼らは真実の信仰を守り、人類を救済する活動に従事してきました。穏やかな折伏によるか、あるいは厳格な議論によるかにかかわらず、法華経を広めるという伝統を維持しました。これが、宗憲に示されている日蓮宗の伝統、教義、本願の一般的な意味です。
1978年1月のハワイ日蓮宗別院の英訳者、堀教通開教使による日付に関する言葉:
日付と年の翻訳はあくまで近似値です。たとえば、日蓮聖人の生年月日は、厳密に言えば貞応元年2月16日であり、私はこれを1222年2月16日と翻訳しました。しかし言うまでもなく、第2の月の16日は正確には太陽暦の2月16日ではなく、貞応元年は正確には1222年とは一致しません。
毎朝8時は「護法の祈り」の時間です
毎朝8時、私たち日蓮宗檀信徒は、どこにいても、何をしていても、身延山におわす釈尊と日蓮聖人に心を向け、お題目を唱え、法を守るための祈りを捧げましょう。私たち皆でこの祈りを実践し、近所の人たちにも参加するように勧めましょう。
お題目の唱え方はあなた次第です。声に出しても、声に出さなくてもかまいません。3回でも10回でもかまいません。重要なのは、どこに住んでいようとも、誰もが同じ時間に心を一つにして祈りを捧げることです。
食事の前後には、この言葉を唱えましょう
食前(食前観)
私たちの体を養う太陽、月、星の光、そして私たちの精神を育む大地の五穀はすべて永遠の仏からの贈り物です。一滴の水や一粒の米でさえ、価値ある働きと大変な労働の結果に他なりません。この食事が、私たちが心身の健康を維持し、仏の教えを保ち、四恩に報い、他者に奉仕するという純粋な行いを実践する助けとなりますように。
南無妙法蓮華経。いただきます。
食後(食後観)
お題目を3回唱えます
ごちそうさまでした。
四恩(しおん):
- 三宝(仏・法・僧)への恩。
- 両親と先祖への恩。
- 自分が住む国と社会への恩。
- すべての人類(一切衆生)への恩。
1966年以来、日蓮宗の護法運動が広まり、その意義は日本の日蓮宗信徒に十分に理解されてきました。
宗祖日蓮大聖人が、仏の心の真髄である法華経の教えを表すお題目「南無妙法蓮華経」を広められたとき、それは日本だけでなく世界中に広められるべきだと指摘されました。これに従い、私は護法信行統一運動も海外に広く普及させるべきだと信じています。そのため、『信行必携』の英訳版の早急な出版を促しました。
ハワイ日蓮宗別院の堀教通開教使が、親切にも英訳の責任を引き受けてくださいました。彼の努力の結果、私たちはついにその出版の日を迎えることができました。彼に深く感謝の意を表したいと思います。
海外の方々がこの『信行必携』を手にし、法華経の心と宗祖の教えを唱え(口で)、保ち(心で)、実践する(体で)ことによって信行を実践し、この世界が明るく安全になり、誰もが仏国土での生活を享受できるようになることを心から願っています。海外の開教使の皆様一人ひとりが積極的な布教活動に従事されることを心底より祈念いたします。
昭和53年(1978年)9月
日蓮宗管長
松村 壽堅
NotebookLMで学ぶ
信行必携の作成は、1966年から1981年まで行われた日蓮宗の護法運動の決定的な成果でした。急速に変化する世界の中で、宗門をより現代に即したものにして護持しようとした日蓮宗の指導者たちによる護法運動とそれに続く取り組みについてさらに詳しく調べてみましょう。